ビールや焼酎(しょうちゅう)、洋酒に押され、日本酒の造り酒屋は廃業がめだつ。長野県小布施(おぶせ)町にある創業250年の桝一(ますいち)も地域共同ブランド酒の原酒工場にすぎず、じり貧だった。その再興は10年前に入社したこの米国人女性が新風を吹き込んだ結果だ。あだ名は「台風娘」である。
「おやじさん、日本の伝統文化が廃れてもいいのですか」
ここで半世紀前までやっていた木桶(きおけ)仕込みに興味をもった彼女は、その経験をもっている大杜氏(おおとうじ)の遠山隆吉(りゅうきち)さん(78)に、再開を頼み込んだ。
漏れや蒸発の少ないステンレスやホーロー製の桶が当たり前になっていた。でも、扱いに手間がかかっても味に深みの出る木桶仕込みの方が特色が出ると思えた。それで戦前の看板銘柄「白金(はっきん)」などを復活させようとの熱意が、乗り気でなかった遠山さんらを動かし、98年秋から木桶を使い始めた。
近くにはいなかった木桶作りの職人は新潟県内で探した。北信濃地方で栽培されていた酒米「金紋錦(きんもんにしき)」も廃れていたが、金沢市の蔵元が契約栽培で入手していることを突き止め、「分けて」と頼んだ。
できがよいので00年、特別容器入り「白金」(1万円)を2千本限定で出すと完売。消費者に直接売れる商品を得て、酒造部門の年商は以前の3倍の2億円になり、赤字を脱した。
「セーラがいなければ、酒造りはやめていた。老舗(しにせ)はマンネリ化しがち。よそ者がかき回すのはいいこと」と社長の市村次夫さん(55)は話す。
「台風娘」と名付けたのはその市村さん。本店2階の職人宿泊用の大部屋を改装しようと、社内の了解が得られぬうちに、彼女がハンマーを握って壊し始めた時だ。
「風」はそれだけではない。利き酒師の資格を取った。昔の当主が葛飾北斎のパトロンだったと知ると、北斎に関する国際会議を企画・運営した。桝一の酒蔵の空きスペースには和食レストラン「蔵部(くらぶ)」を開いた。
木桶仕込みも、各地で再興させようと02年に「保存会」を設け、いま約30の蔵元が挑む。
桝一では今年、もう一つの戦前銘柄「桜川」を復活させる。
「酒造りへの誇りが蘇(よみがえ)った」と市村さんは感謝する。
大阪の大学に留学して日本語を学んだ。故郷のペンシルベニア州立大を卒業した93年、長野五輪準備のボランティアに応募し、再び来日。通訳や翻訳の仕事に飽きたらず、栗菓子屋・小布施堂も経営する桝一を紹介されると、すぐ飛び込んだ。
そこには、彼女をわくわくさせる古き良き日本の文化が埋もれていた。いずれも日本人が忘れかけていたものばかり。「温故知新」が身上である。
好きな言葉は二つ。日本語なら「為(な)せば成る……」。
英語なら「Don't quit」。彼女得意の関西弁にすれば、「投げたらあかん!」。
※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。