30年前の74年7月7日を、岐阜県川島町の世界淡水魚園の館長室で思い出していた。
その日は参議院選の投票日。七夕選挙だった。父、藤井丙午氏は新日鉄を離れ、郷里の岐阜から出馬したが病に伏した。長女として選挙運動の先頭に立った。
「父に顔が似ているので、ということでした。本籍は岐阜でしたが、暮らしたのは4、5歳の2年ほど。土地も知らなければ、ひとも知らない。それ以上に、それまで主婦業一本でしたから人前で話をした経験はありませんでした」
幼いこどもふたりを義父の堀久作氏に預け、父の公約を演説する日々。「お嬢ちゃんで何事も許されてきた身には良い体験になりました。多くのひとに自分の考えを伝える。これがあとで役立ちました。今、この地で七夕を迎えるとは不思議な縁を感じます。父の掌(たなごころ)の上にいるだけではとの思いです」
父は当選したが、激動の1年は続く。11月、義父が亡くなった。
「参院選前、日活争議で渋谷のわが家は労組に占拠され、組合員と一緒に生活しました。社長だった夫が社員の給与の肩代わりに自宅を提供すると約束したため、出て行けとまで言われた。しかし暮らしてみると、主義主張は違っても組合も人の子だなあと思った。出かけるんだったら、こどもはおれたちが見てやるよって。そんな関係になりました」
仮住まいに移り、堀氏が手塩にかけた旧江の島水族館の経営を引き継いだが「職場には日活争議への連帯感があり、女社長がなにをするのかという雰囲気でした」。
初仕事は12月14日の賞与団交。
「厳しい状況です、でもお金はできるだけ出しますと最初に宣言しました。そして経営についての話し合いに入りました。その時、日活の組合のひとたちと理解し合えた体験が支えになりました。むしろ、義父のもとで水族館の経営に携わっていたみなさんにわたしの経営方針を納得してもらうほうが大変でした」
修羅場の1年が、いきなり「2代目」のカラを破らせた。
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