京都の町衆と職人が江戸時代から粋と技で育んだ京町家が次々によみがえる。
イタリア料理、フランス料理の店、雑貨店、喫茶店、ギャラリー……。新緑の古都を彩る人気のスポットだ。その数、約600軒。まだ増えている。衰微する一方だった町家が見事なブランド力を獲得した。
その火をつけた。90年に開いた、おばんざいといわれる京風家庭料理の店「百足(むかで)屋」がきっかけだ。四条烏丸の交差点近くの呉服屋だった建物。モルタルの壁やシャッターなどをはぎ取り、京町家本来のぬくもりや落ち着きを浮かび上がらせた。
現代人には新鮮な細長いつくり、吹き抜けの土間「通り庭」、色鮮やかな京唐紙や使い込まれた道具類――。評判は口コミでまず広がり、後に続きたいという人から相談が続くようになった。市民団体などによる町家の保存活動とも相まって「町家ルネサンス」は加速。市も00年「京町家再生プラン」をまとめ、保存に乗り出した。
京都に4代続いた宮大工の長男。西陣の町家に生まれた。10歳で父を失い、母が西陣織の出機(でばた)をして生計を立てた。広い土間から響く織機の音が子守歌だった。
模型作りが好きで工業デザイナーにあこがれたが、中学卒業後やむなく呉服屋に就職。働く傍ら通った市立堀川高校定時制で能楽に出あう。その奥深さに魅せられ、けいこに没頭した。
能を通じ欧米からの留学生たちと知り合う。捨てられた火鉢をワインクーラーとして使っていた。自分たちより日本的な暮らしぶり。切り口を変えれば、伝統的な物が美しく再利用できることを学んだ。
「京都は文化でめしが食えるか」。そのころ京の街に流れたキャッチコピーだ。
経済で東京や大阪の背を追いかける京都でも、京セラなどハイテク産業が伸びていた。伝統産業よりハイテク産業。そんな意味だったのだろう。
血が騒いだ。日本のハイテク産業の基本には、京の伝統産業や手仕事があるはずだ。それまで全部捨てろというのか。
「将来、京文化でめしを食ったる」。心に決めた。
74年、京都・嵯峨野の二尊院門前。牛乳屋の軒先にゴザを敷き、イーゼルを立てた。1枚25円の色紙に水彩で風景画を描き、500円で売った。素焼きの土鈴に千代紙をあしらった土産物も、あたった。
「自分で作ったものを自分で売りたい」。京文化で食っていく起業だった。3万円の元手は5年で100万円に。和雑貨の製造と卸を手がける「クラフトくろちく」を79年に設立した。
和雑貨の製造と卸、飲食店経営、町家再生の設計や店舗監修やディベロッパー――。多彩な京文化ビジネスでいまや年商約20億円。町おこしコンサルタントとして各地に足も運ぶ。
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