「いいモノ」に敏感な人は、彼のデザインに出会うはずだ。
たとえば、眼鏡。ネジが全くなく、柔らかな曲線を描く増永眼鏡(本社・福井市)のフレームは、使いやすさとかっこよさが共存する。彼の名を冠したモデルは年10万本以上、海外で売れ、パウエル米国務長官やハリウッドのセレブの愛用品だ。
あるいは、液晶モニター。ナナオ(同・石川県松任<まっとう>市)の「EIZO」は、微妙なデータの変化を一瞬で判断できる画面の見やすさなどで、医療、金融など「プロ」の現場で信頼を勝ち得た。同社は3月3日、東証一部に上場する。
モノづくりで身を立てたニッポン。なのに、工業デザイナーはずっと陰の存在だ。それでも彼の「作品」が目立つのは、思想が明確に表れているからだ。
「デザインとは、使う人の夢の実現である」
大学を出た72年、上京し、東芝に入った。すぐにオーディオを手がけ、商品デザインだけでなく、企画開発から小売店でのキャンペーンまで関与。「商品はデザインが牽引(けんいん)すべし」との考えを、社員デザイナーの立場でいきなり実行してみせた。音楽ファンを虜(とりこ)にしたブランド「オーレックス」だった。
ところが78年正月、乗っていたタクシーが追突される。激痛に、運ばれた病院で気を失う。脊髄(せきずい)損傷だった。気がつくと、医師から宣告された。
「あなたはもう歩けない」
28歳で突然、車椅子(いす)生活になった。1年間の入院ののち退社。フリーになった。
「悪いことすると、ああなるよ」。東京・銀座の百貨店で、すれ違った母親が子に諭した。
「ふざけるな」。そう思いながら、ショーウインドーに映った自分をみつめた。お仕着せの車椅子は「かっこ悪い」と思った。スーツのすそも汚れる。
「だったら、かっこいい、と振り向かせるような車椅子を作ってやれ」
郷里の福井市に戻ったあと、鉄工所を継いでいた大学の後輩と試行錯誤した。約8年後に製品化された「カーナ」は、軽くて、かっこよく、そして何より、長く座っていても心地よい「椅子」。それこそ、自分の「夢」の実現だった。
他人の「夢」でもあった。全国から注文が来るようになる。
その後、心臓を患うと、人工心臓のデザインまで手を広げ、医学博士号を取得した。
消費の冷え込みが厳しい。大手企業は「救世主」とばかり、デザイン部門を強化する。でもその目的は「夢の実現」ではない。
名古屋市立大大学院の教授になっても、「権威」たるグッドデザイン賞の審査委員長に引っ張り出されても、そんなニッポンの現状が不満だ。
「自分が使いたいもの、そしてだれかに使って欲しいものを作れ。デザイナーはわがままであると同時に、我を通す喧嘩(けんか)師でなければならない」
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