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追跡!フロントランナー

信念と自らの行動力を信じて、各界で疾走する「フロントランナー」たちに迫ります。
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第二十回 ソールワーク社長 古野雅子(ふるの・まさこ)さん 〜伝統の和柄を婦人服によみがえらせる〜

beフロントランナーロゴbeフロントランナー 2006年11月11日付け紙面から
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転機
入院して子どもの頃の夢を思い出した

身長175センチの長身に、自らデザインした服をまとう。左は螺鈿(らでん)のドレス=東京の六本木ヒルズ店で

流産し、1週間入院した。28歳のときだ。自分と向き合ったこの7日間が、デザイナーへの転身を促した。

子どもの頃から「常に一番でなければ気が済まない性格」だった。服飾デザイナーを志したが、美術短大は半年で中退。エッセーコンテストで優勝したことも一因だが、服のデザインは得意でも、縫製などに自信がなく、一流にはなれそうもないと感じていたからだ。

百貨店の広告を手がけ、雑誌のライターなどもしながら、短大卒業資格を取った。24歳で結婚し、「こんな自分じゃいやだ、努力すればもっと可能性が広がる、といつもつっぱっていたけど、等身大の自分でいいと気づいた」。

一時は仕事も辞め、音楽好きな夫とクラブ通いをする余裕もできた。夫には「洗濯したり、アイロンかけたり、服を触っているときが一番いきいきしている」と言われ、服への興味を見破られていた。

そんなときの流産。病室で自問した。「私が本当にやりたいことは何?」。やはり、子どもの頃の夢だったデザイナーしかない。決断は早かった。夫はすんなり「世界を目指してやれば」と言ってくれた。義母も「私が若い頃は自分の好きな仕事をするなんて、夢のまた夢。困ったことがあったら相談して」と励ましてくれた。

京都のブティックで販売員として働き、ライターの仕事もしながら、夜は大阪の服飾専門学校に通った。店の常連客が高級婦人服のパタンナーと知って拝み倒し、描きためたデザイン画を服に仕立ててもらい、初の展示会も96年に開いた。京都に店を構えたが、とことんやるなら東京でと思う気持ちが募る。

だが、京都府職員の夫は京都を離れられない。これ以上、わがままを通せるのか。3カ月間悩み続け、精神安定剤も飲んだ。自分を信じて、思いを貫けば、結果を出せると決意し、ひとり、東京へ向かった。

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