流産し、1週間入院した。28歳のときだ。自分と向き合ったこの7日間が、デザイナーへの転身を促した。
子どもの頃から「常に一番でなければ気が済まない性格」だった。服飾デザイナーを志したが、美術短大は半年で中退。エッセーコンテストで優勝したことも一因だが、服のデザインは得意でも、縫製などに自信がなく、一流にはなれそうもないと感じていたからだ。
百貨店の広告を手がけ、雑誌のライターなどもしながら、短大卒業資格を取った。24歳で結婚し、「こんな自分じゃいやだ、努力すればもっと可能性が広がる、といつもつっぱっていたけど、等身大の自分でいいと気づいた」。
一時は仕事も辞め、音楽好きな夫とクラブ通いをする余裕もできた。夫には「洗濯したり、アイロンかけたり、服を触っているときが一番いきいきしている」と言われ、服への興味を見破られていた。
そんなときの流産。病室で自問した。「私が本当にやりたいことは何?」。やはり、子どもの頃の夢だったデザイナーしかない。決断は早かった。夫はすんなり「世界を目指してやれば」と言ってくれた。義母も「私が若い頃は自分の好きな仕事をするなんて、夢のまた夢。困ったことがあったら相談して」と励ましてくれた。
京都のブティックで販売員として働き、ライターの仕事もしながら、夜は大阪の服飾専門学校に通った。店の常連客が高級婦人服のパタンナーと知って拝み倒し、描きためたデザイン画を服に仕立ててもらい、初の展示会も96年に開いた。京都に店を構えたが、とことんやるなら東京でと思う気持ちが募る。
だが、京都府職員の夫は京都を離れられない。これ以上、わがままを通せるのか。3カ月間悩み続け、精神安定剤も飲んだ。自分を信じて、思いを貫けば、結果を出せると決意し、ひとり、東京へ向かった。
※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。