重いドリブルの響きと、シューズが床をきしる音。荒い息づかい、掛け声。歓声と拍手。北海道北広島市総合体育館は若々しい熱気にあふれた。
今月6日に開かれた、北海道初のプロバスケットボールチーム「レラカムイ北海道」の選手選考会。道内外から52人の若者がはせ参じ、プロ選手への夢を賭けて技量を競った。今秋発足する日本バスケットボールリーグに唯一、既存企業を母体とせずに参加するチームにとって、最初の大きな一歩だ。
「ここにこうしているのが、すごく不思議な気持ちです」
去年の今ごろは、サッカーJ2リーグ「コンサドーレ札幌」の取締役退任を目前にして、最後まで営業に駆け回っていた。4月1日に、レラカムイの運営会社「ファンタジア・エンターテインメント」を設立。資本金1億3千万円の半分を出資するオーナーとして、まだ実感がわいていないのかも知れない。
故郷・札幌でテレビやラジオのフリーパーソナリティーをするかたわら、イベント企画を引き受け始めたのは86年。88年には会社を設立した。
順調だった事業は、バブル経済の崩壊とともに低迷する。前後して、夫の事業が失敗。夫は自己破産し、連帯保証した5千万円の債務がのしかかった。
就学前の幼児3人を抱えて、28歳で離婚。月に90万円近い借金返済を迫られ、残った数人の社員に時にカードローンで引き出した金で給料を払った。自分の生活を支えるため、時給700円の皿洗いのバイト代を日払いにしてもらったこともある。
本気で会社を立て直そうと考えた。思い立ったのは、保育サービス。幼い子どもを育てながら、社員の暮らしを保障し、借金を返している自分こそが切望していた。
ベビーシッターの派遣から始め、やがて事務所の一角の10畳ほどのスペースに定員10人の保育室を設けた。保育サービスの「コティ」の誕生である。
長時間保育と、同年齢の子を持つ母親の視線でのサービスが受けて、道内を中心に託児施設は増えていった。01年には東京・霞が関の文部科学省内の保育室を受託運営し、03年には早稲田大学の中に地域に開かれた保育室を設ける。運営する施設は全国約70カ所までになった。
そのコティをあっさり手放して、プロスポーツ界に転進した。創業者だからといって会社にしがみついていてはダメという理由は、子育てを一段落させた母親がふと漏らすため息のようにも聞こえる。
だからか、ファンタジア社を立ち上げたこの1年は、「もう、すごい楽しかったです」。
社員はすべて公募。「子育てと一緒で、溺愛(できあい)する人は困る」と、むしろバスケットボールを知らない人を選んだ。10月のリーグ開幕までチケット収入は得られないが、汲々(きゅうきゅう)とした営業はしたくないからと資本金を多めに準備し、スポンサー集めも選手がそろうまで控えるという、独自のスタイルで走る。
「津軽海峡の向こう全部が、アウエーです」
挑戦が始まった。
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