東京・銀座の中心、4丁目交差点の三愛ビルの並び。歩道の脇に小さな人だかりがある。和菓子の「銀座あけぼの」銀座店だ。訪ねたときは看板商品の一つ、「白玉豆大福」が軒先に山積みにされていた。周囲から「これ本物?」と声が上がる。もちろん展示用だが、思わずさわってしまった。粉をまぶした感じまで本物そっくりだ。
1個210円。実物を買い、かぶりつく。生地は柔らかく、あんは甘すぎず。エンドウ豆のつぶつぶが口の中にあたる。ひととき、幸せな気持ちになる。
「でしょう? 工場で一つ一つ、手作りです。この大福は本社で同じ社員が毎日食べて、少しでも硬かったりしたら全部の商品を下げてしまいます」
店は百貨店などを中心に全国に97店、1日の生産量は3千〜8千個。うう、もったいない。
「お店からは『勘弁してくれ』と言われます。でも毎日食べていると微妙な違いがわかって、どんどん品質に厳しくなる。今年はまだ下げてません」
終戦まもない1948年に汁粉屋から始まった老舗(しにせ)の3代目。女性従業員が多い和菓子の世界でも女性社長は珍しい。4人きょうだいの長女だが、「跡取り娘」として育てられたわけではない。志望していた教師に自信が持てず、入社は花嫁修業のつもりだった。
04年に父、植草三樹男会長(72)からバトンを引き継いだ。手がけた新商品は次々とヒット。口の中ですうっと溶ける「くちとけ水羊羹(みずようかん)」、ポップな色合いの8種類の小袋から様々なおかきが転がり出る「それぞれ」……。新風を吹き込んだ。
03年には夫の一美専務(45)と装いを新たにしたおかきの詰め合わせ「味の民芸」が、国際的な広告賞「ロンドン・インターナショナル・アワーズ」の菓子・スナック類パッケージ部門で最高賞を得ている。芹沢けい介(せりざわけいすけ)の型絵染を用いた掛け紙が印象的で、売り上げはリニューアル前の約2倍になった。
入社して最初の配属先は、障害者が働く工場だった。妹でダウン症の智子さん(40)のため、03年に亡くなった母澄子さんが作ったのだ。ほかの新入社員は制服姿で店にいる。なぜ自分だけ白衣に長靴なの?
そんな不満はすぐに消し飛んだ。障害者たちのほうがずっと仕事ができた。マドレーヌの生地を鉄板に絞り出そうとして、ドバッと出してしまう。妹や先輩にやり方を教えてもらった。
「私は仕事を、工場をなめていたんですね。これはまずいと必死になりました」
やがて、自分が作った菓子をお客が「おいしい」と買ってくれる快感にのめりこむ。障害のある仲間の能力を精いっぱい引き出し、生産性を上げるのが楽しくなった。商品を店に置いてほしくて首都圏の約70店舗を全部訪ね、店長に頼んで歩いた。
父の植草会長は言う。
「ママ(澄子さん)の手伝いでもしたらと工場に配属したんだが、結果としてよかった。彼女が店に立つと、不思議なことに売れるんです。お客さんが来るとうれしいから、それがお客さんに伝わるんだろうね」
※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Firefox1.5以上、Macintosh Safari 1.3以上、Firefox1.5以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。