朝日新聞がビートルズ世代に贈る、こだわりエンターテインメントサイト

メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ヘルプ

  • トップ
  • 地球発
  • マネー
  • ライフスタイル
  • 極める
  • からだプラス
  • エンタメ

追跡!フロントランナー

信念と自らの行動力を信じて、各界を疾走する「フロントランナー」たちに迫る! BS朝日の人気番組「be on TV」で放送された中から、選りすぐってお届けします。
  • バックナンバー

第二十九回 アンリ・シャルパンティエ創業者 蟻田尚邦(ありた・なおくに)さん 〜青い炎に魅せられ、洋菓子づくり〜

beフロントランナーロゴbeフロントランナー 2007年8月25日付け紙面から
  • ページ1
  • ページ2
  • ページ3
05年に芦屋市に完成した路面店「メゾン アンリ・シャルパンティエ」で。ケースには「パリ・コレクション」が並ぶ

「昼前までは3個500円で話してたのに、何で急に2個500円になるねん。おかしいやんか。ちゃんと説明して」

「バレンタインの商品なので見た目のメッセージ性が必要だと思ったんです。パッケージにもコストをかけないと。メッセージを買ってもらう感覚です」

6月のある日。兵庫県芦屋市のビルの一室で、来年のバレンタインデー用商品の検討会が始まっていた。パティシエや企画担当らがテーブルを囲み、フランス語を交えた議論が続く。目の前には色鮮やかでしゃれたデザインの試作品が並ぶ。窓からは緑鮮やかな六甲山が見えた。

駅前の小さな喫茶店から始めた商売が、今では全国の百貨店などに「アンリ・シャルパンティエ」「シーキューブ」「ラジィ」という3ブランドの約90店舗を構え、売上高は年160億円を超えるまでに育った。

成長を支えたのは商品開発。ショートケーキやモンブラン程度だった持ち帰りケーキの世界に、デザイン性、多彩な素材を持ち込み、洋菓子にはうるさい阪神間の消費者の支持を得た。

「おちこぼれやったんですわ」と明け透けに言う。小学校の時から成績は下の方。一浪の末、早大に入ったが留年。遊び癖は直らず、結局は中退した。自宅のある芦屋に戻ったが「何ができるか、しばらく考えてました」と明かす。

65年、父親の友人の紹介で、大阪の老舗(しにせ)レストラン「アラスカ」でコックの見習いを始めた。朝から晩まで皿洗い。だが、そこで今の成功につながる出来事に遭遇する。「誰にでも出合いはある。それをつかめるかどうかやったんです」

その時の光景は鮮烈だった。仕事をさぼって何げなく厨房(ちゅうぼう)から客席を見ていた。突然、店内の明かりが落ちて、テーブルの脇でワゴンサービスが始まった。デザートをつくるシェフの鍋から柔らかい青い炎が立ち上った。美しさに魅せられた。

「あれ何ですの」と先輩に聞いた。「クレープ・シュゼット言うんや」。オレンジ果汁で煮たクレープにリキュールを注ぎ、火をつける。19世紀に活躍した仏料理人アンリ・シャルパンティエが創作したデザートだった。

69年に独立し、父から借金して阪神電鉄芦屋駅前に喫茶店を開いた。成長のきっかけは75年、神戸・三宮のそごうからの出店要請だった。生菓子だけでなく、ギフト用の焼き菓子の販売開始を機に、売上高は急速に伸びた。飛躍は95年の阪神大震災。50億円だった売上高が3年後、100億円になった。

当時の焼き菓子の箱には、大きな金文字で本社所在地の「芦屋市公光町(きんみつちょう)」と印刷されていた。「上品やないので変えようと思てた。でもそれで、被災者のお見舞い返し、支援へのお礼にと買っていただいた」

ただ、あまりの急成長に戸惑った。「このままでええんかと。もともと気が小さいんで悩みました」。急な多店舗展開で、ブランド価値が低下しているとも感じた。99年、日本では珍しいブランド管理会社「クールアース」を設立。思い切ってアンリの社長から退いた。

次のページへ
バックナンバー

関連ページ

画面トップへ

※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Firefox1.5以上、Macintosh Safari 1.3以上、Firefox1.5以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。

©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。