
ボリビア人のパトリシアさんは5人の子を持つシングルマザー。家族を養うため単身渡米した。朝は新聞配達、昼は洗濯業の仕事で週給500ドルを稼ぎ、生活費以外のすべてを故郷へ送る。
エルサルバドル人のホセさんは建設現場で働く。故郷では小学校教師だった。大学と高校に通う2人の子どものため、月給の4分の1を送金している。
MFICが金融サービスを提供するのは彼らのような移民たちだ。2人はまじめな送金ぶりを「担保」に融資も受けている。4回目のローンを返済中のホセさんは「将来は故郷でレストランを経営したい」と言う。
「アツマサは同胞たちの人生を変えました」。ワシントンDC近郊で移民が最も多いエルサルバドルのチャベス領事はしみじみと語った。2度の大地震に遭った同国の移民は米国で合法的に働けるが、その法的身分の申請料が1人420ドル。工面できずに不法滞在になる人は多い。枋迫さんが現れるまで、銀行口座もない彼らにお金を貸す金融機関などなかった。
「なぜ見知らぬ外国人を助けてくれるのか。そう尋ねると、彼はメキシコのスープの話をしてくれました。人間の善を信じているんです」
起業までの27年間は「戦う銀行マン」だった。貧困、内戦にあえぐ中南米に計12年駐在。独裁政権のパナマでは金融当局と渡り合い、25億ドルの資産凍結を免れた。銀行内で「1年で髪が白くなる」といわれた同国に6年もいた。
39歳で帰国後は不良債権処理の難しい案件をいくつも任された。元上司の吉田幸夫さんは「部下との信頼の築き方、頼み事をしたときの抜群のフットワーク、本当に頼れる部下だった」と言う。
「与えられた場で力を尽くすのがプロだ」と全力疾走しながら、メキシコで誓った夢は忘れなかった。47歳でワシントン事務所長になると、大学院の夜間コースに通って経営学修士(MBA)をとり、国際会議に参加して人脈を築いた。COO(最高執行責任者)のカイ・シュミッツさんもその一人。英国から送金のプロとして招かれた彼を食事に誘い、構想を話した。「実現すれば市場は一変する」と確信したカイさんは内定していた企業の要職を断り、仲間に加わる。会長には旧知の仲のブレトンウッズ委員会の重鎮オア氏を迎え、自ら期限と決めた50歳になる年、夢を果たした。
だが数年は利益が出ず、ようやく上昇気流に乗り始めた頃、億単位の出資をするはずの相手に土壇場で約束をほごにされた。「どんな逆境でも彼は常に楽観的なんだ」(カイさん)。07年、中東の送金大手と提携して送金網が一挙に拡大。今春、米国最大のヒスパニック人口がいるカリフォルニアの送金会社を買収し最重要市場を手に入れた。
その会社はメキシコ国境の街サンディエゴにある。メキシコ人社長のヘラルド・ボニーヤさんは故郷で弁護士をしていた頃から「送金を効率的に地元の発展に生かせないものか」と考えていた。送金専業の事業に行き詰まりを感じた頃、資金を融資に活用する「枋迫モデル」を知り、短時間の話し合いで合併を決めた。「アツマサが従業員たちに僕らの言葉で事業の使命を話すと、彼らの顔が輝き出した。その日からMFICの使命は僕らの使命になった」

広島県尾道市生まれ。同志社大卒。76年、旧東京銀行に入行。中南米勤務などを経てワシントン事務所長。03年に退職、MFICを創業。年間送金取扱額1.5億ドル(約150億円)。優れた社会起業家を支援するアショカ財団のフェローに日本人で初めて選ばれた。



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