
金髪に派手な服装。けれども話せば穏やかな物腰。会話は相手を楽しませるウイットに富んでいる。
「金髪でつくるものがイマイチだと格好悪いでしょ?」
実家は福島県郡山市の菓子店だった。8畳一間風呂なしの部屋に一家4人で暮らし、幼いころから店番や牛乳配達を手伝った。「どうすれば客が喜び、たくさん買ってもらえるか、つねに考えていた。相手の顔色をうかがう性格はあのころ形成されたのかも」
店の値札やチラシを作るのが好きで、「300円」に斜線を入れて「250円」にする術(すべ)も知っていた。
「周りと違う道を行く」と東京芸術大を受験するが、3年連続で落ちた。その理由がわからない。3浪目は郷里に戻り、1枚も絵を描かずに過ごした。
4度目の試験当日、さすがに怖くなった。会場を目前に公園のベンチで逡巡(しゅんじゅん)。ようやく意を決して会場に入ったが、試験開始からすでに55分が過ぎていた。カンバスの前に座ったとたん、吐き気がピタリと止まり、猛烈に描きたい衝動に襲われた。
「技巧よりも伝えたいという思いが大事だ」。回り道して得た結論だったが、大学でも、90年に入った博報堂でもなかなか芽が出なかった。同期や後輩は次々と賞をとり、自分は焦ってばかりいた。
逃げ出した先は、草野球。
チームを作り、週末に試合をし、平日は戦評を書いたり対戦相手を探したりして過ごした。仕事に身が入らないまま数年がたち、「一生このままかもしれない」と思ったとき、ついにスイッチが入った。自らデモCMをつくり、内緒で顧客企業に送り始めた。「面白い仕事がしたい」という一心だった。
そして、同じ思いを抱く先輩コピーライターの木村透さんと出会う。「2人ともある種の劣等生。世間で良いとされる広告に『それでいいの?』と考えていた」
いつしか2人は営業局で「仕事ない?」と聞いて回るようになった。社内でクリエーターが御用聞きするなど、前代未聞のことだった。
「営業パトロール」と名付けたこの活動が、代表作となるレコード会社タワーレコードのキャンペーンを生む。
制作局にはすでにタワー社の担当チームがいたが、営業局に「こちらの意向を反映し、一緒に作ってくれる人に代えてほしい」との依頼がきていた。社内で「スターチーム」とされるメンバーの交代要請を、営業局が制作局に切り出せずにいるのを、木村さんが見つけてきたのだ。
タワーレコードの宣伝・マーケティング担当の坂本幸隆部長は、95年の初打ち合わせを「不思議な感じだった」と振り返る。現れたのは、風変わりな2人組。同行した営業マンは終始申し訳なさそうだった。が、地方店舗の開店告知に始まった2人の仕事はやがて大きく花開く。外資系競合店が相次ぎ日本に上陸したのを受けて、翌年、現在まで続くキャンペーン「NO MUSIC, NO LIFE.」がスタートしたのだ。マグマがたまっていた分、爆発のパワーも大きかった。
「自分は何かがすぐできるタイプじゃない。でもやめずに続けていれば必ず実現する。3浪経験で確信したというか、味をしめたというか」
訥々(とつとつ)と繰り出される人生訓。妙に説得力がある。



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