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beロゴ2011年4月30日付紙面から
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一から美術館を作る必要がありました

――なぜ移転したのですか。

日本画をもっと多くの人に知ってもらうためには、一から新しい美術館を作る必要があると思ったのです。もともとは日本橋兜町にありましたが、建物の老朽化で千代田区三番町に仮移転していました。でも展示室は狭いしカフェもない。経営的には問題なかったのですが、せっかくいい作品があっても、日本画好きの方以外には見に来てもらえませんでした。

所蔵作品のチェックに余念がない=都内

――今の美術館は設計段階から様々な工夫をしたそうですね。

絵画は光によって見え方が変わるので照明が重要です。例えば掛け軸は本来の床の間なら、昼間は障子を通した自然光で、夜はろうそくの明かりで見ていたはず。そこで試行錯誤を重ねながらLED、蛍光灯など四つの光源を、個々の作品に合わせて調節し、自然に近い照明にするシステムを開発しました。光のあて方を変えると作品の違う魅力も発見できます。

――一般に、日本画は高尚で取っつきにくいと感じます。

日常生活で日本画に触れる機会が少ないからでしょう。芸大でも学部の日本画専攻は1学年で20人あまり。専門的に勉強した人が少ないので教える人もいない。義務教育の授業でも習いません。

子どもの記憶

――その日本画に、子どもの頃から親しんでいた。

祖父は季節が変わると、床の間の絵を掛け替えていました。子ども心にも強烈な印象だったのが速水御舟の「紅梅・白梅」です。ただきれいなだけではない、怖いぐらいに鋭いものを感じました。

――美術館の仕事を継ごうとは思っていなかったそうですね。

子供の頃は絵が好きで油絵も習っていましたが、「才能がない」と思ってやめてしまいました。中学生の頃、交通事故に遭って失明の危機にさらされ、奇跡的に回復したことがあります。そのとき医師の献身的な努力やシスターの祈りに触れて、シスターか医師になって人の役に立ちたいと思いましたが、両親に猛反対されました。

――大学卒業を前に美術館を継ぐと決めたのはなぜですか。

もともと山種美術館は、祖父が画家の横山大観(たいかん)先生に「商売ばかりでなく世のためになることをやってはどうか」と助言され「美術による社会貢献」を理念に創立したもの。祖父が残した理念と事業を体を張って守っている両親を見ていて「やっぱり私が……」と使命感のようなものを感じました。

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