
がれきの続く大地と空とが、以前なら建物に阻まれて見えるはずのなかった地平線で交わっている。
6月初旬の週末、宮城県・牡鹿半島。先端の集落で、自ら企画したボランティアツアーの客と、地震や津波で壊れた民家や養鶏場の復旧作業に汗を流した。
倒壊したブロック塀を金属のハンマーで砕いていく。全身を使った、力強くそれでいて無駄のないフォームは、旅行会社の社長というイメージからはずいぶん遠い。
そう、4年前までは土木建設会社を率いていた。「全国の土建業界でたぶん、唯一の白人社長」。ちゃめっけを含んだブルーグリーンの瞳が、ぐるんと動く。
日本現代政治の論文を書くため米西海岸から東大に留学後、東京の大手商社に入社。絵に描いたようなエリートサラリーマンだった。
転機は、妻との出会い。山形県北の最上町にある地元屈指の土建会社の一人娘で、当然ながら結婚に猛反対された。義父が最後に渋々出してきた条件が、「日本国籍をとり、養子になって家業を継ぐ」だった。
松尾芭蕉ゆかりの地へと移り住んだ米国育ちの婿を待ちうけていたのは、公共事業を軸に政・官・業が癒着しあう地方経済の現実。バブル崩壊を受けた景気対策の大盤振る舞いで、建設業界は空前の好況ぶりだったが「こんな仕組みはいずれ限界がくる」と思わざるをえなかった。
果たして、小泉改革を機に業界は崩壊へと追いこまれる。社員に退職金が払えるギリギリのタイミングだった。2007年、半世紀続いた会社の看板を下ろした。
「13年間で、官製経済への依存がいかに地方をだめにするかを痛いほど味わった」。新たな地域再生ビジネスを、と目をつけたのが観光業だ。
自然や温泉、食材――幸い観光資源は豊富にある。大手が手がけるお仕着せの駆け足ツアーではない、旅行者の自己実現への欲求を具体的な形にする「滞在型」の旅を。会社清算後に残った資金で小さな旅行会社を買収、「トラベル東北」を起こした。
「奥の細道」をたどる俳句ツアー。馬の産地にちなんだ乗馬ツアー。独自の企画は口コミで評判が伝わり、映画のロケ誘致にも成功。他県との連携が視野に入り始めた矢先、大地震が起きた。
3月以降、予約キャンセルが相次ぐ中、透析患者を移送したり水を届けたりと被災地へ足を運んだ。避難所生活を送る宮城県民を山形県の温泉に招く委託事業に奔走するなか、牡鹿半島にたどり着く。
支援の手が、ほとんど入らない孤立地区。惨状を目の当たりにして、ボランティアツアーを思い立った。
「長期滞在はむずかしいが、週末だけでも」という社会人の気持ちに応える企画にした。新幹線の駅に集合後、バスで牡鹿半島まで移動。宿泊テントや食事を用意する。
「政府や役所が何かしてくれるのを待つのではなく、自分たちで動き、話し合って町や地域を立て直す。そういう復興を実現したい」

1960年生まれ。米カンザス州出身。学者の父と彫刻家の母のもと、公民権運動やベトナム反戦運動、ヒッピー文化などに囲まれて育つ。
高校時にオーストリアへ留学。オクラホマ州立大学を卒業後、スタンフォード大大学院へ。D・オキモト教授に師事し、教授の薦めで東大大学院に留学。自民党政治を研究。
87年、三菱商事入社。化学分野の担当で各国を飛び回る。当時の上司、武市純雄さんは「行動力の人。倫理観がしっかりしているから、途中でぶれることがない」と振り返る。
94年、結婚を機に日本国籍を取得。義父の他界後、山口建設社長に。一男一女。
2007年からトラベル東北社長。地元・最上町役場交流促進課の伊藤和久さんは「やんばい(適当)を許さない頑固さもあるが、その真剣さに心うたれ、皆、仲間になっていく」。
大の歴史好き。出先で石碑や墓碑を見つけると確認せずにはいられない。戦国時代の出羽山形藩当主、最上義光の話になると止まらない。



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