
東京・池袋から特急レッドアロー号で約80分。終点の西武秩父駅(埼玉県)に近づくと景色が一変する。標高200メートル余。夏の気温はときに35度を超え、冬は零下に冷え込み、雪も積もる。人には厳しい気候が、ウイスキー造りに適している。
「寒暖の差が樽(たる)の中の熟成を促しますから」
築5年の「秩父蒸溜(じょうりゅう)所」で仕込んだウイスキー7400本を昨秋、「イチローズモルト 秩父 ザ・ファースト」として初出荷した。半分は評価が先行した海外向け。国内でもバーなどで「3(サントリー)、2(ニッカ)、1(イチロー)」と注目され、ともに完売した。ウイスキー消費が落ち込むなか、国内では珍しい専業会社として、業界の注目を集めている。
埼玉県秩父市で江戸時代から続く造り酒屋の長男に生まれた。サントリーで6年間、営業マンとして働いた後、21代目として継いだ家業は、焼酎やウイスキーにまで手を広げていた。しかし、2004年、業績不振で他社の手に。譲渡先が興味を示さなかった400樽のウイスキーの原酒だけが残された。
同じ年、資本金1千万円で「ベンチャーウイスキー」を立ち上げた。「子ども」を世に出してあげたかった。都内のバーを客として回り、「イチローズモルト」と名付けたウイスキーを紹介、試飲してもらいながら意見を聞いた。一晩で2軒、3軒とハシゴし、月に20万円が飲み代に消えた。2年間で600本しか売れず、「資本金を飲み尽くしたら事業から撤退しよう」と考えていた。
しかし、バー通いは無駄ではなかった。水割りやハイボールだけでなく、一つの蒸留所の原酒だけを使う「シングルモルト」をストレートやロックで楽しむ層が、確実にすそ野を広げているという手応えをつかんだからだ。
「たくさんの人が満足する平均的な酒より、原酒の個性を大切にしたい」
新たな原酒造りへの思いが膨らみ、07年には先祖が酒造りを始めた地に、ウイスキーの蒸留所を完成させた。
秩父蒸溜所では、1800樽(原酒36万リットル)が地面むき出しの貯蔵庫に積まれ、その出来は天候に左右される。一帯は時にスコットランドを思わせる朝霧に包まれる。味わいを深くする熟成が早く進む一方で、原酒が蒸発して量が減る「天使の分け前」と呼ばれる現象も著しい。
「ウイスキーは農産物」が持論。だから国産への思いが強い。樽材になるミズナラの木を探しに、北海道旭川周辺の山を歩き、製材所に通う。蒸留所近くで大麦栽培も始め、自ら畑に立つ。
10年、20年ものもあるウイスキーづくりには時間がかかる。樽材になる木が育つまで100年から200年。蒸留作業にかかる1週間の後は、樽の中の熟成をじっと待つだけ。人間は関われない。
「自然の恵みをいただいているんだなと痛感します。自然への敬意、畏怖(いけい)の念を感じている」

1965年、埼玉県秩父市生まれ。実家は江戸時代創業の酒の蔵元、肥土本家。東京農大醸造学科卒業後、サントリー入社。
父が経営し肥土本家を統合した東亜酒造へ。35歳で社長に就任したが他社に譲渡。廃棄される予定だったウイスキー原酒を譲り受け、ベンチャーウイスキーを設立。この時、「酒文化の危機」と原酒を置いてくれた「笹の川酒造」(福島県郡山市)の山口哲司社長は、「肥土さんは温厚だが、原酒への思いを訴える力を感じた」。
12年2月「秩父 ザ・ファースト」がジャパニーズウイスキーオブザイヤー(米国の専門誌主催)を受賞。樽を3〜10年間預かり、3年熟成後から飲める「夢の原酒樽」を限定発売、賛同したバーなどが熟成を待つ。
看護師の妻美代子さん、長女が住む東京の自宅と秩父で暮らす。妻はベンチャーウイスキー設立に複雑な気持ちだったはずだが、「今は評価してくれていると思う」。



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