えっ、安泰寺をつくるのはこの私ではなかったっけ? どうしてその私が、今度は「どうでもいい」といわれなければならないのか? 最初はそういう疑問もありましたが、よく考えてみたら、この「私」という思いを手放して初めて自分も変わり、世界も変わるのです。自分を忘れてしまうからこそ、自分で「今・ここ」、この世界がつくれるのです。現に、安泰寺には常に10人前後が滞在しますが、10人が10人ともばらばらに安泰寺を作ろうとしても、うまくいくはずがありません。おのおのが「自分」という思いを手放して、しかも積極的に、主体的に全体に関わって初めて共同体が成り立つのです。
安泰寺の跡を継いで、住職になった10年前から、私も弟子に教えています。
「安泰寺をお前がつくる」
「お前なんか、どうでもいい」
この態度をサッカーチームの精神に例えることもあります。個性豊かな、優秀な選手が11人集まったとしても、チームが一丸となっていなければサッカーでは勝てません。個人プレーではないのです。個人プレーではないけれども、最後にシュートを放つのはたった一人です。ですから、チームのために自分を忘れてしまうと同時に、このチームは私次第だ、この私がチーム全体を背負わなければという強い責任感も要求されます。強いチームなら、フォーワードも守備のことまで考え、ディフェンダーもゴールを狙うときがあります。一人一人の選手が自分の役のみを演じているのではなく、全員がすべてのポジションと連結して力を発揮できるチームがあれば、最強でしょう。
道元禅師はもちろん、サッカーのサの字も知りませんでしたが、
「一珠(いっしゅ)走盤(そうばん)の自己」
という言葉も残しています。自己とは、あのサッカーフィールドで飛び回っているボールのようなものだといっています。小さな「私」というポジションではなく、フィールド全体が、出会うものすべてが自己です。今年は、世界制覇を果たしたなでしこジャパンが全国民に勇気を与えましたが、これからの日本もそういうチームになれるのでしょうか。残念ながら日本丸の監督たちにはあまり期待ができそうもないので、すべて私とあなた、この国に住んでいる一人一人の市民にかかっています。国を立て直すためにはおのおのが小さなエゴを忘れてしまい、全体を把握し、積極的に働きかけなければならないのです。


1968年、旧西ドイツ・ベルリン生まれ。7歳の時、母と死別してから人生に悩む。16歳で座禅と出合い、禅僧になる夢を抱くことになる。ドイツの座禅道場に通い続ける。1990年、留学生として兵庫県の但馬地方にある安泰寺に上山し、半年間修行生活に参加。大学のドクターコースを中退、1993年から安泰寺で出家得度、雲水生活、嗣法(しほう)。2001年から大阪城公園で「ホームレス雲水」として毎朝の座禅会を開くが、2002年に師匠の訃報(ふほう)を聞き安泰寺に戻り、堂頭(住職)となる。以後、国内外からの参禅者・雲水の指導にあたっている。

(更新日:2011年12月22日)
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