私の話をします。
師匠が不慮の事故でなくなったのは、今から10年まえ、2002年のバレンタインデーのことでした。ブルドーザーでバス停までの4キロの道のりを除雪し、Uターンして山に戻ろうとした際に重機ごと冷たい川に落ちしまったのです。
事故当時、安泰寺には2、3人しか雲水が残っておらず、留守番役として呼び戻されたのは私でした。
「どうせ、ホームレスとして暇を持って余しているのだろう」
というのは先輩の言い分でした。確かに、当時の私は暇でした。先輩に逆らうわけにも行きません。しかし、春になって「住職として安泰寺を守ってくれ」と言われたときには、さすがに驚きました。弟子の中でも一番若い、経験も浅い、しかも外国人の私がどうしたら一ヶ寺の住職に?
これをきっかけに、当時付き合っていた彼女にプロポーズをしました。
「俺について、山寺に来ないか?」
寺には檀家(だんか)が一軒もない、住職の給料はゼロ。米や野菜、かまどで使う薪を自給自足でまかなっている。そんなことを彼女に伝えました。
「そのお寺の住職は、何年くらいするの?」
「まぁ、まず十年だな」
「無理かもしれないけど、がんばってついていくわ」
2人の間に、子どもが2人も生まれました。3人目は来月生まれる予定です。
一方、私の元で出家得度(しゅっけとくど)した仏弟子も十数人います。彼らの指導に当たることがこの山寺での私の使命です。ところが、10年たった今、後を継げそうな弟子はまだ育っていません。これから育つかどうかも、心配です。嫁にはこう言われています。
「約束の10年がもう過ぎたけど、どうするの? 子どもの教育や、私たちの老後はどうなるの?」
弟子も知りたいようです。
「僕たちは安泰寺で何年修行をすれば、ちゃんとした檀家寺の住職になれるのですか? それまで、小遣いは出ないのですか?」
おいおい、オレのことを誰だと思っているのだ。オレが誰のために寿命を減らしているのか、分かっているのか。ついついこう叫びたくなるのも事実です。
一ヶ寺を管理・監督する立場で道元禅師に学び、初心に帰らなければならないのは、他でもなくこの私なのです。


1968年、旧西ドイツ・ベルリン生まれ。7歳の時、母と死別してから人生に悩む。16歳で坐禅と出合い、禅僧になる夢を抱くことになる。ドイツの坐禅道場に通い続ける。1990年、留学生として兵庫県の但馬地方にある安泰寺に上山し、半年間修行生活に参加。大学のドクターコースを中退、1993年から安泰寺で出家得度、雲水生活、嗣法(しほう)。2001年から大阪城公園で「ホームレス雲水」として毎朝の坐禅会を開くが、2002年に師匠の訃報(ふほう)を聞き安泰寺に戻り、堂頭(住職)となる。以後、国内外からの参禅者・雲水の指導にあたっている。

(更新日:2012年01月26日)
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