菩提心(ぼだいしん)をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと発願し、いとなむなり。そのかたちいやしといふとも、この心をおこせば、すでに、一切衆生の導師なり。
(正法眼蔵・発菩提心)

続けて、道心のあり方に脚光を浴びせたいと思います。
正法眼蔵の「発菩提心」という巻を道元禅師は44歳で著しています。この引用はなかなか面白い表現だと思います。
「自分が救われる前に、まず先に生きとしいけるすべての者を救おうと思い立ち、つとめること。わずかでもその気持ちを起こせば、その人は全社会のリーダーとなりえるのだ」
これは菩薩(ぼさつ)の実践における「下化衆生」の方向ですが、ちょっと矛盾していませんか。
「前回で『他の為に非(あら)ず』といっていたはずなのに、どうして今回は衆生の済度なのか?」
「そして、救われてもいない本人はどうしたら人を救えるのだろうか?」
そういう疑問がわいてきて当然だと思います。道元禅師はこれに対して、同じ巻の中で厳しく忠告しています。
まづわれ生死を解脱し、のちに衆生をわたさんには。行者このかたらひをききて、菩提心を退(どか)し、菩薩の行を退す。まさにしるべし、かくのごとくの説は、すなはちこれ魔説なり。菩薩しりてしたがふことなかれ。もはら自未得度先度(じみとくどせんどた・自れ未だ度ることを得ざるに先づを度す)の行願を退転せざるべし。
(「まずあなた自身が生死の苦しみから解脱してからでないと、人も救えないだろう」という意見を聞いて、菩提心をすてて、菩薩の実践をやめてしまう修行者がいるが、それは悪魔のささやき声だ。菩薩はそんな声に耳を傾けてはいけない。自分は救われていなくても、もっぱら人を救おうという志をなくしてはいけない。)

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