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「どらく編集委員」通信

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甘酸っぱいバンジョーの響き どらく編集委員 松任谷 正隆さん

話ばかりで申し訳ないけれど、とりあえず、しばらくは昔話を続けようと思う。今回はカレッジフォークの話。「懐かしいねえ」この響き。バイタリスとコッパンとステンレスの櫛(くし)と、そしてフォークギターである。

そうそう、ボタンダウンのシャツを忘れちゃいけない。こんなファッションがもっともおしゃれに見えたのは60年代はじめ。いやなかばだったか・・・。巷(ちまた)にはフーテナニーと呼ばれるコンサートがよく見かけられた。火をつけたのは誰だったんだろう。ブラザースフォアかPPMかそれともキングストントリオか。古い78回転のSP版もかかる電蓄で聴いたブラザースフォアが僕の覚えている限り最初のフォークである。曲はグリーンスリーブス。そんなに良いとは思わなかったけれど、とりあえずクラスメートが貸してくれたので聴いた。そうそう、当時の東芝のレーベルには盤が赤く透き通ったものが多くて、音そのものよりもそっちのほうが印象的だったかもしれない。

レコードを僕に貸した友人は僕とバンドを組むのが目的だった。ギターも持たない僕に白羽の矢を立てるなんて、なんと先見の明のあるやつだったんだろう(!?)・・・。 で、まんまと僕はフォークギターを買いに新宿の帝都無線だったか・・・に走り、ホタカのギターを手に入れた。結構高かった。2万円ちょっとしたと思う。帝都無線に並んでいるホタカのギターの群れの中に何本かホダカというのがあって、つまりTとDの違いがあるのだけれど、それがどういう意味なんだかこの歳になるまでわからずじまいである。誰か知っている人がいたら教えてください。

ギターを手に入れてからは特訓である。指の皮が何度もむけた。むけてむけて硬くなるほどいいといわれて、むきになって何度もむいた。もちろん硬いほうがいいわけなんてわけはないのであるが。そして最初に取り組んだのがブラザースフォア・・・ではなくキングストントリオだった。「ルーベンジェームス号の遭難」だったかな。声変わりしたての声で歌を歌うのは非常に照れくさかったけれど、何度かやっているうちに妙に慣れて、次第に楽しく思えるようになった。当時の価値観で言えば、キングストントリオに似ていれば似ているほど偉(えら)い、というわけで自然にファッションもそっちにシフトしていった。

あのころの1年は今の10年くらいの密度で、だから1年のうちにそれこそいろいろなことが変化していった。レコードを自分で買うようになって、電蓄を叔父に作りかえてもらって、それこそ宝物を磨くようにレコードを磨(みが)いた。それでもスピーカーから「ちりちり」というノイズが聞こえ始めると無性に悲しくなったものである。そんなある日、ビートルズが武道館に来るけど行かないか、と友人に誘われた。ビートルズ・・・。東と西くらい違う格好に傾倒していた僕がビートルズに興味を持つわけもなく、そっけなく断ったのが今になって悔しい。

僕のキングストントリオ熱はどんどん加速をし、バンジョーも手に入れ、ついには先輩をだまくらかしてマーチンのギターを永久貸与させるにいたった。お金持ちの先輩がいたものである。というか、人のいい先輩と言ったらいいのか。週に1度はうちか友人宅で大声で練習をする。ビートルズのコピーバンドだったらそんなに簡単に誰かの家で、とはいくまい。お金もかかる。しかしフォークは親さえ我慢が出来ればどこでも練習が出来たのがメリットだった。

で、僕の記憶ははそこまでだ。そこからはなぜかプロの道を目指した違う音楽生活が始まったからだ。コピーは恥、みたいな妙な意識が生まれ、それがキングストントリオを僕の深い心のおくにしまいこんだ。数年前、アマチュアのイベントにキングストントリオのメンバーの一人であるジョンスチュワートが特別参加するので来ないか、と当時のバンド仲間に誘われ、なぜだかふらふらとついていった。会場に入ると、いい年こいたおっさんたちが恥ずかしいくらいキングストントリオの格好をして恥ずかしいくらい声を真似(まね)て歌っている。次々に出てくるバンドすべてがそうだった。このとき感じた嫌悪感ともつかない不思議な感覚は今でも説明が出来ない。自分が目指していた道の先にはこんな世界もあったのである。危ないところだった、と胸をなでおろした。しばらくアマチュアのバンドが続いた後にジョンスチュワートが出てきた。こんなに年とったのか、と思わず悲しくなった。3−4曲歌ったと記憶しているが、その時間はさすがに僕の時間も止まった。なぜか、と言われても、これまた説明不可能だ。

その後、僕はネットでいろいろと調べ、キングストントリオに関するものをずいぶん買った。DVDもかなりいろいろなものが出ていてびっくりした。そして極めつけは60万円もするバンジョーだ。キングストントリオが、いや、ジョンスチュワートが使っていたという同型のモデルのレプリカ。そんなものを買ってどうする、と自分に言いたい。ポロポロと鳴らしながら昔を思うとき、なんだか甘酸っぱいものがこみ上げてくる。あの時代に戻りたいとは思わないが、ちょっと立ち寄ることが出来るなら立ち寄ってみたいものだ。

(2007.03.26)

松任谷 正隆

プロフィール

松任谷 正隆(まつとうや・まさたか)

音楽プロデューサー

1951 年東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。

20歳のころよりプロとしてスタジオ活動を開始し、数多くのセッションに参加。その後、アレンジャー、プロデューサーとして多くのアーティストの作品を手掛ける。

1986年に設立した「マイカ音楽研究所」では、自ら校長として後進の育成にも力を注いでいる。長年に亘り「カーグラフィックTV」でナビゲーターを務めるなどモータージャーナリストとしても活躍。日本カーオブザイヤー選考委員。

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