拝啓
僕が初めて東南アジアの旅を始めたのは学生時代のことでした。
今からちょうど25年前。オーストラリアの旅のあとに立ち寄ったシンガポールが、僕に東南アジアの旅のきっかけを作ってくれました。まだ近代化途中だったシンガポールには、他のアジアの都市同様に活気あふれるチャイナタウンやインド人街、そして屋台街が残っていました。熱気、暑気、雑踏、猥雑さ……毎日が祭りのような、そんな感覚に取り憑かれたように、シンガポール、マレーシア、タイへの旅を繰り返すようになったのです。
先日、東京の事務所近くのコーヒーショップでカプチーノを飲んでいた時のことです。隣の席にいた男子学生ふたりが、卒業旅行について熱心に話し合っていました。
「アメリカやヨーロッパは卒業してからも行くチャンスはいっぱいあると思うよ。だからさ。東南アジアとかエジプトとか、じっくり旅してみたいよな」
旅行パンフレットを広げながら、そんなことを言っているのが耳に入ってきました。
「毎日が祭りなのは、都市部のほんの一画に過ぎない」という、当たり前のことに気づいたのは、何度か旅を重ねたあとのこと。田舎には、熱帯の暑さとうまく付き合っていけるようなゆったりとした時間が流れていました。祭りのような「ハレ」の場所に身を置くのは確かに刺激的ですが、それだけだと疲れてしまう。基本的には、昔から続いているであろうのんびりしたリズムに身を置き、時折「ハレ」の世界へと入っていく、そんな旅こそ東南アジアの旅の魅力なんだと分かった時から、田舎の小さな町に頻繁に足を延ばしだしました。
金子光晴の詩集を抱えて訪れたバトゥパハで、暑くなり始めた昼前に、ある茶店で甘いコンデンスミルク入りコーヒーを飲んでいた時です。茶店の親父が近くの森で撮影したという鳥や昆虫の写真を見せてくれました。その写真が、数多くの生き物の生息場所である熱帯雨林が半島マレーシアにもまだ数多く残っていることを、僕に意識させてくれたのです。
最近、環境問題として熱帯雨林の重要性が声高に叫ばれることが多くなっています。また化石燃料による温暖化防止のためバイオ燃料利用の研究も進められており、その代表格として注目を集めるのがパームオイルです。マレーシアではパームオイルの原料となるアブラヤシ農園が急速に広がっています。農地確保のために小さくなっているのが熱帯雨林の森なのは、とても皮肉な話です。熱帯雨林の森が小さくなっていく中、あの茶店の親父は今も元気に昆虫写真を撮っているんだろうか――もう一度訪ねてみたい気がします。
朝崎さんのふるさと奄美には、今も緑豊かな森が広がっているんでしょうね。まだ見ぬ奄美の森が、これからもずっと美しい姿であるよう願ってやみません。そしてもちろん、その素晴らしさを見に行きたいと思っています。
敬具
2007年2月19日
東京にて 伊藤伸平
朝崎郁恵さま

バトゥパハの路上で店開きをしていたドリアン屋
半島マレーシア有数の熱帯雨林の森が残るタマンヌガラ国立公園。ここには熱帯雨林見学用にツリートップウォークも設置されている

伊藤伸平
1959年秋田県生まれ。オセアニア、東南アジアを中心に取材を続けるトラベルライタ&エディター。著書に「マレー鉄道で朝食を(I)(II)」「スチームボート シンガポール」「旅大陸オーストラリア」(いずれも凱風社)などがある。また旅行ガイドブック「地球の歩き方」シリーズ・オーストラリア関連書籍の主編集者でもある。


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