
<偃月刀(なぎなた)を植え立てたような水沢のニッパ椰子の奥に、霙(みぞれ)のふるような音をさらさらと立てゝ、星がまたゝいていた。海のある方の際涯(さいがい)には、蟠(わだか)まる雲のひまを、藤色のいな光が、しっきりなしにふるえて、豪雨ともろともどこか、遠くのはてをさまよっているのであった>(「マレー蘭印紀行」1940年刊)


詩人・金子光晴が放浪したマレー半島は、今もヤシのジャングルやゴム園が広がり、マレー系、インド系、中国系と多彩な民族がそれぞれの暮らしを営む自然と生命力にあふれた地。この緑の大地を貫いて走るのがタイ、マレーシア、シンガポールの3カ国を結ぶマレー鉄道です。


バンコクとシンガポールを結び、全長2千キロにおよぶマレー鉄道。正確にいえば、タイ国内はタイ国鉄、マレーシア国内とシンガポールはマレーシア国鉄が管轄し、さらにタイ南部とマレーシアでは路線は東海岸と西海岸の2路線に分岐。これらを総称した鉄路が、一般に知られている「マレー鉄道」です。
その歴史は19世紀半ばにさかのぼります。当時の宗主国イギリスは、半島西海岸で発見されたスズ鉱石を効率よく運ぶために鉄道を敷設。1885年第一号路線の開通からスズ産地を結ぶように西海岸路線が延びていきました。やがて、同じ特産品のゴムを運ぶため東海岸路線も整備され、1924年、ついにシンガポールからタイまでの路線が開通。同じ時代の日本に目を転じると、1872年、新橋から横浜まで日本初の鉄道が完成しています。アジア鉄道史のあけぼのの時代でした。


現代の旅人が主に利用するのは西海岸線です。古くからマレー半島の大動脈として機能したこの路線周辺には、風情ある古都が多く残ります。特にいにしえの貿易都市マラッカは、中国とマレーが交じり合うまちなみが魅力的で、沢木耕太郎が「深夜特急」でも描いた「大きな夕日」が旅人に忘れ難い印象を残します。

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