拝啓
先日、南極から戻られて間もない今井通子さんからヨーロッパアルプスのお便りをいただきました。それで思い出したのは、私が生まれ育った青森県の西津軽にある「津軽富士」、姿のきれいな岩木山のことです。今日は、そんな私の故郷のお話を少しさせていただこうと思います。
津軽に暮らす人たちにとって、春の訪れは本当に待ち遠しいものです。
私が生まれ育った鯵ケ沢町は、五能線沿線の日本海に面した港町。冬の積雪量は山形や新潟ほどではありませんが、とにかく風が強くて、寒さが厳しい。中学校へは徒歩40分かけて通っていましたが、たどり着く頃にはまゆ毛が凍りついていたものです。
春がやってきたのはまず、匂いで感じるんです。雪が解けてぬかるんだ土が顔を出し、それが日差しで乾いてくると、土ぼこりの匂いがする風が吹く。このほこりっぽい匂い、そして、草木が芽吹いてくる青臭い匂いを嗅(か)ぐと、心がワクワクしたものです。やっと相撲ができる季節がやってきた、と。
青森は相撲王国といわれていますが、力士を多く輩出しているのは津軽地方なんですね。八戸などの南部地方と青森や弘前などの津軽地方では、風土も人の気質もかなり異なります。南部はどちらかというと、スケートやレスリングが盛んなのです。
いまは少し様子が変わりましたが、私の子どもの頃、津軽はとにかく相撲が盛んでした。小学校の校庭にはどこも土俵がありましたし、神社の祭りでは必ず相撲大会が催されていました。小学生、中学生、高校生、それぞれに地元で名を馳(は)せる子というのがいたんです。当時は若乃花、隆の里、出羽の花といった青森出身の力士たちが活躍していましたから、私も小学校低学年からは相撲に夢中で、特に夏休みは相撲漬けの毎日でした。ですから海に面した町に育ってるのに、海水浴に行った記憶もあまりなく、泳ぎも下手です。残念ながら体が小さかったせいもあり、町の大会ならなんとか勝っていましたが、津軽地区の大会となると、全然、通用しない。けっしてずば抜けた子ども力士ではありませんでしたね。
子どもの頃から無心になれるものがあったということは、本当に幸せでした。いやな思いも、苦しいこともあったけれど、私にとって相撲と出合えたことは、人生最大の喜びです。それもこれも、やはり津軽に生まれたことを抜きには考えられません。
仕事でしかなかなか帰ることができない故郷ですが、年を重ねるごとに、戻るとホッとするんです。相撲も含めて、自分を形成してくれた場所。五能線に乗って、山も川も海もあるこの郷里にだんだん近づいてくると、「家に帰ってきたなぁー」と、しみじみそんな気持ちになります。
敬具
2007年3月19日
東京にて 舞の海秀平
どらく編集長 小野高道様

郷里の風景のなかに、当たり前のようにあるのが岩木山。津軽地方は年間を通してクリアに晴れる日が少ないので、岩木山が裾野(すその)からきれいに見えた日は、なんだかとても気分がよくなったものです。
生まれ育った鯵ケ沢より少し南、五能線の深浦界隈(かいわい)からの日本海の風景は、それはみごとなものです。夏の短い期間以外は、常に波が荒い海です。私の通っていた中学校は海岸沿いにありましたが、日本海に沈む夕日は絶景でしたね。

舞の海秀平
1968年、青森県鯵ケ沢町出身。スポーツキャスター。日本大学相撲部で活躍の後、1990年に出羽海部屋に入門。現役時代の最高位は小結。「技のデパート」として人気を博し、技能賞を5回受賞。1999年、相撲界を引退後、NHK大相撲解説や、フジテレビ「スーパーニュース」のスポーツキャスターとして活躍。その他、旅番組のレポーター、テレビドラマや映画では役者としても活動。


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