江戸は宝暦(1750年代)のころ、庶民がだれでも参加できる「前句附(まえくづけ)」の興業が大当たりをとりました。初代柄井川柳(からい・せんりゅう、1718〜1790)が始めた懸賞募集吟(ぎん)「川柳点前句附」です。
前句附とは、たとえば次の句。これは、川柳の時代よりずっと前、山崎宗鑑の「新撰犬筑波集」(1530〜40年頃)から。
題 切りたくもあり切りたくもなし
盗人(ぬすっと)を捕らえてみれば我が子なり
題は、「切りたくもあり切りたくもなし」。七七の短句形式です。それに五七五を附ける。「泥棒だ!」と捕まえてみたらわが子だった、切るに切れないというわけです。
もう一つ、こちらは柄井川柳の「俳風柳多留」(1760年頃)から。
題 こわい事かなこわい事かな
かみなりを真似て腹掛けやっとさせ
お風呂からあがって裸のまま駆け回っている子ども。「雷さまにおへそを取られるぞ、ゴロゴロゴロ」と雷を真似ながら腹掛けをもって追いかける親。雷にへそを取られるという迷信が消えつつある今、こんな風景はあまり見られないでしょうが、ほほえましい親子の姿が伝わってきます。
前句附は、前の句に次の句を附ける試みで、古くから連歌の稽古吟として行なわれてきました。それが、江戸時代に大当たりしたのは、懸賞がついたから、といわれます。
上の例のような題が出され、これに続く句を作って投句するのですが、応募するには町内の取次所で、専用の短冊を買わなくてはなりませんでした。短冊のお代=投句料というわけですが、短冊1枚に1句。最盛期は2万を超える句数が集まりましたから、合計すると大変な金額です。このおカネで賞品を出し、賞品は換金できることになっていた。今のパチンコと同じですね。やがてこれが高じて賭博のようになり、ことば遊びの面白さはどこへやら、という状況になってしまったようです。
とはいえ、多くの江戸庶民を巻き込んで、「川柳」という今に続く文芸ジャンルを作り上げた柄井川柳の手柄は、たいへんなものです。もともと、江戸の人びとのあいだには、ことば遊びに興じる気分があったのでしょう。そこで、【風流ことばあそび塾】では、江戸から続くお祭り、縁日、落語などの世界、江戸趣味もよしとしますが、それだけではありません。
今、日本語が注目されているのは、異なる人びと、異なることばとのコミュニケーションに直面し、日本語という自らのコミュニケーションの道具を再点検し、性能を高めようという動きのようにも思えます。そのためにも、発想を豊かにし、表現を磨く【風流ことばあそび塾】が役に立つことを願っています。
川柳寺
東京・蔵前にある天台宗龍宝寺には、初代柄井川柳のお墓や、その辞世の句とされる「木枯らしや跡で芽を吹け川柳」の句碑があり、毎年、9月23日の命日には川柳忌の句会も催される。そこで、通称「川柳寺」。寺のそばの和菓子店では「柳多留もなか」が売られている。
柄井川柳は前句附の点者として当代随一の人気を誇った。川柳の選択眼は「古今比類なし」といわれるほどすぐれており、評点は公平・公正だったと伝わる。亡くなるまでのおよそ33年間に寄せられた句数は300万句に及ぶというからすごい。
柄井川柳主催の「川柳点万句合(まんくあわせ)興行」の秀作は、呉陵軒可有(ごりょうけん・かゆう)が編纂した<俳風柳多留>に残されている。呉陵軒可有は前句附の名手であったという。ペンネームとすれば「ごりょうけんあるべし」と読むほうが自然だろうが、<俳風柳多留>の編者としては「かゆう」と読まれることが多いようだ。
前句附は、前句(題)とともに読むところに面白さがあるとされるが、<俳風柳多留>には、前句を切り離して一句だけ取りだしても句意がわかりやすい「一句立ち(いっくだち)」する作品が選ばれている。
当時「川柳点前句附」と呼ばれていたものは、後に略されて「川柳」となる。附句が前句から独立することによって拓(ひら)かれた、新しい境地。文芸の一ジャンルに個人の名前が冠された例は、世界でも珍しい。
(更新日:2006年08月02日)
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