今月から、篝火舎心亭宗匠に、その幅広いうんちくを傾けていただきます。ことばあそびに近い話、遠い話…。まずは「遊び心」から。
「遊び心」は江戸時代を語るキーワードのひとつでしょう。
たとえば、暦ね。謎で仕立てた絵暦というものがありました。絵のなかに謎の答えが隠されている暦です。何しろ月の運行をもとにした大陰暦が使われましたから、毎年、大小の月が変わります。暦の必要性はいま以上です。そこで、商店などが作って配ったんです。凝って、洒落たものを作り、謎が解けるかどうかを楽しむ。たいへんなお金をかけて、一財産なくしたとか、そんな話がたくさんあります。
暦というのはもともと実用のものです。用が足りるというだけなら、わかりゃあいい。謎仕立てにしたり、工夫をこらして破産する必要はさらさらないのですが、そこに凝る。これが遊びでしょう。
こういう絵暦は多色刷りの版画、つまり錦絵です。その錦絵の職人がまたスゴイ。下絵を描く絵描き、下絵に基づいて版木を彫る彫り師、何版もの版木を1枚の紙に摺(す)る摺り師。筆と刀と馬連(ばれん)、このなかに適当なやつがひとりでもいたら、いいものはできません。じゃ、適当でないとはどういうことか、というと、無駄なところに努力することだと私は思いますね。
ここに示した写真は今作られている錦絵で、たぶん19色刷、つまり19版ですが、紙は摺りのたびに伸び縮みします。版木のほうも摺りはじめと終わりのほうでは寸法に狂いが出る。その版木と紙をピタッとあわせる「見当あわせ」は神業(かみわざ)といっていい。
今日は天気がよすぎるから昨日摺った墨版の上に何色をのせるとよいとか、霧吹きで湿らせてやろうとか、違いが傍目(はため)、まあ素人目といってもいいでしょうが、ふつうはわからないようなこと、無駄と思うようなところに、それこそ尋常でない神経を使う。これが遊びだと思います。
江戸時代は、農民や町民は搾取されてひどい生活を送っていたとよくいわれます。確かに飢饉(ききん)や一揆はありました。でも、生活は確実に向上していた。江戸時代がスタートした1600年代から200年くらいたつと、GNPは日本全体で4倍を超えていると思います。人口は5割しか増えていない。1660年くらいから貨幣経済が徹底します。
関八州は天領ですから、商品を作っている方がもうかる。稲作をするよりクワを作ってカイコをかうとか、江戸に近ければ野菜を作って、商品として売り出す。貨幣経済が農家まで浸透していくわけです。商品経済ということですね。そうでないと伊勢参りなんてできませんよ。社会的にゆとりが生まれて、遊び心が出てくるわけです。
日本は家父長制の家督相続で、財産が分散されないようになっていた。そのかわり次男三男が、武家もお百姓も部屋住みになってしまいます。この中にはグレてしまうヤツもいたでしょう。そうしたグレた次男三男がやくざになった、という事例がたくさんある。幕末にやくざと称するアウトローがいたということですが、江戸近郊の農家に多かった。
表の社会秩序を守るのは、江戸幕府を頂点とした軍事政権です。裏社会を仕切るのがやくざです。やくざが出てきたということは、小金を持った庶民大衆が増えたということで、やくざを食わせる社会的余裕があった。
江戸の町人どうしの会話は、そのなかに遊び心がないと軽蔑されました。無駄事(むだごと)や無駄口(むだぐち)が入らないと、「あいつはつきあいにくいヤツだ」「洒落が通じない」「つまらないオトコだ」ということになる。
日本語は、何かを説明するときに形容詞が少ない。そのかわり、「……のようなものだ」とたとえる、たとえ話がたくさんあります。江戸の庶民は、擬音、擬態語とたとえ話で、どううまく表現するか。そんなことに目の色を変えていました。寄席に行って噺(はなし)家のマクラを仕入れるのも、日常会話に必要だったからなんですね。「うまいこというね」といわれるのが最高の値打ちです。逆に「ヤボなヤツだ」といわれるのはたいへんな屈辱でした。これが遊び心の基本でしょう。
江戸の町人は、武家政権で権力をもっている連中から、今の言葉でいうと虐げられていました。長いものに巻かれながら暮らしていたわけですね。しかし江戸の町にいて食うに困ることはまずない。明治以降、「封建社会に対する大衆の抵抗」というようなことがいわれるけれど、そんな了見はぜんぜんない。幕府を倒そうなんて思っているヤツはひとりもいなかった。
そんな江戸の庶民のアイデンティティーが、無駄口がうまいとか、洒落が通じる、ということだったのではないかと思うんです。つまり自分は、野暮な侍でも、やくざなアウトローでもない。江戸の町人たる自分自身のありどころを証明するのが、洒落た会話だった。だから必要不可欠だった。
バブルが崩壊してもう十何年でしょう。20年近くになるかもしれない。江戸の元禄時代はバブルの後です。元禄、宝永。享保までおかしい。バブルの後はきゅっと締める。その後には文化や遊びが出てくる。もうそろそろ遊び心が出てきていいころじゃないでしょうか。
(更新日:2006年09月13日)
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