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風流ことばあそび塾 篝火舎心亭監修

ことばのお洒落 お洒落なことば Vol.08 おなじみ

監修:篝火舎心亭 文:寿々乃舎於火女

篝火舎心亭宗匠のお話もこれが最終回。「おなじみ」についてです。

日本人の感覚のなかで、「おなじみ」というのはたいへん重要な概念です。江戸時代、少なくとも向こう三軒両隣とは、常日ごろ顔を合わせれば親しく挨拶を交わす間柄で、場合によっては親代々変わらない同じ人です。入れ替わりの激しい長屋住まいでも事情は同じで、ともかく顔なじみにならなければ、安定した暮らしはなり立ちません。

武家の世界には「二君にまみえず」という言葉がありましたね。これも「おなじみ」の延長です。

武士は給料が決まっていました。代々上がりもしないかわりに下がりもしない。物価は変動しているのに給料は上がらない。御家人と旗本だけで数万人いたでしょう。この人たちはよく暮らせたなと思うくらいですが、ことほど左様に同じ身分はずっと同じ身分。つまりおなじみです。そうしたなかで、武士の矜持(きょうじ)、節度を守っていました。

興行の世界でも「おなじみ」でないと、まず当たりませんでした。

「真知子巻き」ってご存じですか。50年も前ですが、「君の名は」という映画が大ヒットしました。その中でヒロインの真智子がショールを巻く、その巻き方が「真智子巻き」です。それをみんな知っていた。知っていたから流行になった。誰も知らなかったら、おかしなショールの巻き方をしている、あいつはヘンじゃないかということになってしまいます。おなじみが流行をつくるんです。そしてヒット作につながる。

東京都・銀座にある歌舞伎座。名実ともに代表的な歌舞伎専用劇場。

歌舞伎では、誰でも知っているおなじみの話を「世界」といいます。

義経は薄幸の貴公子で、兄頼朝に疎まれて、最後は奥州で自害した。このことを程度の差はあれ、一般大衆はみんな知っていました。これが「世界」です。そこにどういう趣向をこらすかが、作者の腕の見せどころなんですね。

「世界」が縦糸、「趣向」が横糸になって、「芝居」という柄(え)が出来上がります。その出来上がった「柄」がおもしろくて素敵かどうか、ということです。

「趣向」にも「おなじみ」があって、典型的な例は「際物(きわもの)」と称するニュースネタです。

「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」という、歌舞伎狂言があります。もとは人形浄瑠璃からきているのですが、右大臣菅原道真公が左大臣藤原時平の諫言(かんげん)によって、九州大宰府に左遷される。太宰の権の帥(そち)。これはおなじみの世界ですね。

これを縦糸として、横糸の「趣向」に当時のビッグニュースを持ってきました。丁度そのころ大阪の天満に三つ子が生まれて大騒ぎになりました。昔、双子というのは、恥ずかしいことだったようですが、三つ子が生まれて元気に育っているのはお目出たい。これは太平の世を示す吉事だということで、お上から青ざし五貫文(約十万円)のお祝いが届いた。これが大ニュースになったんです。

みんなが知っているこの三つ子の一件を、花札の梅松桜にちなんで、三兄弟の「梅王丸」「松王丸」「桜丸」としました。これを趣向にして「菅原伝授」ができあがったというわけです。

時代が延享(えんきょう)から寛延(かんえん)にかけて(1750年ころ)、作者は竹田出雲(たけだいずも)、三好松洛(みよししょうらく)、並木千柳(なみきせんりゅう)の合作で、大当たりをとりました。この三人のチームがまたすごかった。翌年に「義経千本桜」、そのまた翌年には「仮名手本忠臣蔵」。矢つぎ早の大ヒットです。そしてこれが人形浄瑠璃の三大傑作、むろん今日の歌舞伎でもドル箱の三大狂言になっています。

みんなが知っているおなじみの世界に、ニュースとしてみんなが知っているものを趣向に持ち込む。そうやって、おなじみをとっかえひっかえやっているのが、日本の文化の一面です。

徳川幕府によって芝居興行を許された江戸三座というのは、中村座、市村座、森田(守田)座という三つの芝居小屋ですが、江戸時代中頃、享保(きょうほう)時代あたりから正月の演しものは必ず「曽我兄弟」と決まっていました。

どうしてこんなことになったのかというと、そもそも曽我兄弟の仇(あだ)討ちというのは建久(けんきゅう)4(1193)年、鎌倉時代がはじまったときに起きた事件なのですが、後に諸国を廻る説教僧や門附芸人によって全国に知られるようになりました。「曽我物語」の成立です。

一方で江戸の街というのは、諸国から人が集まる居留地のような性格がありました。そこで皆が知っている共通の話として、この「曽我物語」が恰好でした。「あっ、それなら俺も知っている、田舎で聞いたことがある」という訳です。この「おなじみ」が次第に儀式化され、年中行事化されていったと思うのです。

もっとも毎年三座ともに同じ演目ですから、いくら何でも筋が同じでは誰も来ません。ところが趣向によって、筋をまったく変えてしまう。心中事件が起きたら、それを「曽我物語」にどう持ち込むか、工夫するわけです。それが前にもお話しした「不自由の中の自由」です。

おなじみの世界という制約、不自由のなかで、自由奔放に物語を展開させる。これはゲーム、遊びと同じなんですね。ゲームというのは、規則を作って不自由にしておいて、その中で最大限の勝負を楽しむ。俳諧の連歌もまさしく「不自由の中の自由」、ことば遊びも「不自由の中の自由」です。ルールに縛られるから面白く遊べるんですね。これを無視しては、遊びが成り立ちません。ぜひ、ことば遊びのルールにもなじんでいただき、そのなかで思う存分に遊んでくださることを願っています。

(更新日:2007年04月11日)

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