今回の選者は、寿々乃舎於火女(すずのやおかめ)、弥寿乃舎小ゆき(みすのやこゆき)。そして、わたくし篝火舎心亭(かがりやしんてい)が立評をつとめます。
洒落附 「文房具一切」
今回は惣句高が274ありました。数が多いということは、たいへんけっこうですね。
それにしても、こんなにカタカナが出てくるとは思っていなかった。これだけカタカナが多い洒落附の選は、初めてじゃないでしょうか。それと、雑俳ではやはり、本来、日本語のもの、たとえば「はんこ」とか「そろばん」というのはカタカナでない方がいい、という気はしますね。
今回の句を拝見して、洒落附については、みなさん、もうよく呼吸をつかんでおられる。いただいた句はどれも面白いと思いました。それだけつくりやすいということじゃないかな。
ただ、「江戸時代からこういう規則でやっています」ということがあるので、落とさざるを得ないんですね。たとえば「ノーと言えない日本人」は同音になってしまう。それから「もうカッター」とかね。「後ろのちょうめんだあれ」、「見にくいファイル何処」も、地口附だといいんですが、一種のゲームですから洒落附ルールの中でやっていただかないとといけません。
「通り句」がいくつもありました。通り句というのは、以前から洒落附に何度も出ている作品です。「コンパスこの世に留まりて」「コンパス今夜のこの月を」「シャーペンまわって煙草にしょ」「筆比べ」。
こういう句は、洒落附としてよくできていても、通り句ということを選者が知っていると抜けないんですね。逆に知らなければ抜いてしまう。短い文章ですから、いま挙げた句のほかにも、「昔からあるよ」というものがあるかもしれない。でも、遊びの世界ですからね。まあ、あまり目くじら立てるものではありませんよ、ということになるんでしょうね。
「つき句」といいますが、同じ作品も多かった。「算盤の出来事」が2句、そのほかに「ソロバンの出来事」という作もあって、表記の違いを考えなければ3句ついていました。2句ずつあったのが、「画鋲点睛(がびょうてんせい)」「便箋(びんせん)いろいろ」「墨汁の手習い」。表記は違いますが音が同じ句「硯方(すすりかた)教室」と「すずり方教室」。よく似ている句では、「毛筆寝たらお正月」と「毛筆寝るとお正月」、「筆擦れ合うも多少の縁」と「筆振り合うも多生の縁」、「定規作法」と「定規作法を身に付けて」。ついていたり、よく似ていたりすると、面白くても取らないか、取っても低いところになってしまいます。
ちなみに、「筆擦れ合うも多少の縁」「筆振り合うも多生の縁」の元句ですが、辞書によって少しずつ違い、「袖振り合うも他生の縁」(小学館・新潮社)、「袖振り合うも多生の縁」(岩波)、「袖擦り合うも他生の縁」(角川)。いずれにしても洒落附は頭の部分以外はもじってはいけない、という規則ですから、お手持ちの辞書を調べて、もじる部分以外は辞書の表記に従うほうがいいでしょう。
いちばん面白いと思ったのは、「雲」の「算盤どうなりました」。ほかに「算盤のできごと」という句がありましたね。これがなければ「雲」じゃないところへもっていきたいと思ったけれども、同じ想の句があったので、「雲」です。こういう句はどうしても天になりにくい。格が必要ということなんでしょうね。
「算盤どうなりました」は、キゝをつけるのが楽しくなるような句です。キゝをつけるときに、いろんな連想が浮かんできて、すごく面白かった。私は「見事辻褄あわす上首尾」とつけています。辻褄(つじつま)の「褄」で、雲を効かせているんですが、褄っていうのは左右を合わせるということだそうですね。
元句とキゝは、作者と選者の間でたとえば洒落のやりとりになっていたりするわけです。それが洒落た会話の訓練になるということでしょう。
この世界では、キゝをもらえるような句の作り方がよい、といえるでしょうね。「キゝもらい」とか「キゝねらい」ということばがありますが、ふつうは、選者がなぜその句を選んだかということを何行か解説する、文章で綴(つづ)ることになるんだけれども、それを全部捨象して、いい句をつけるのが、キゝです。【風流ことばあそび塾】は古いことば遊びのやり方をとっていますが、キゝをつけるという習慣のある集まりは、ほかにあまり聞きませんね。
川柳 折り句「こよみ、むつき」
全体として、洒落附のできに比べて、川柳のほうが少し低い感じがしました。折り句の題、今回は「こよみ」「むつき」ですが、これを押さえなければならないという制約に引きずられた句、単にことばを合わせたというだけの句が多かった。川柳として一句立ちしていないといけませんね。
地の位は「国境の夜白くなり魅せた底」。これは本歌取りですね。「雪国」の冒頭でしょう。「国境のトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」という…。そのことを知らないと、この句のよさがわからないのですが、知っていれば「俺これわかったよと。あなた、さすがですね」というキゝ をつける。ですから、たぶん雪国に関連した「駒子」とかね、そういうことがキゝにでてくるでしょうね。本歌取りだろうなと思うものがほかにも2句ぐらいあったと思うけれど、これがいちばん面白かった。
典型的な川柳は、天の句。「無意識に爪を研いでる金曜日」。川柳の境地がそのまま句になっていて、折り句の制約を感じさせないよさがあります。
今回の多くの句は、折り句として成立させるために無理してつくったかなぁ、という感じがしました。川柳の境地を読もうとしているけれども、「こよみ」「むつき」を五七五の頭に詠み込まなければならないということに制約されて、こうならざるを得ない。純粋に川柳として考えたら、もっとほかの言い方があるだろう、と感じてしまう。
「む」「つ」「き」、「こ」「よ」「み」で始まることばを単に組み合わせているだけで、その句で詠もうとしている状況が半分しか説明されていないんですね。説明不足になってしまっている。もうちょっとちゃんと言わなければならないのですが、もうちょっと言おうとすると、折り句にならない。で、スッと入ってこない句になっているんですね。
あるいは、「むつき」の「む」で始まることばを探し、そこから発想して、なんとか面白い状況を詠まなくてはいけないと考えていることはわかるのですが、結局、川柳によくある状況を詠んで川柳になった、ということにしているんじゃないかしら。
折り句というのは、題に添って探したことばを鍵にして、新しい川柳の境地を見つけ出す、という稽古(けいこ)なんでしょう。
使われているすべてのことばが自然で、無理がなく、制約を感じさせない。折り句としての条件を満たしながら、川柳として一句立ちしている。説明が不足していない句がよい、ということになりますね。
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