夢は宇宙ホテルに泊まること
団塊世代は新しもの好きで、無鉄砲な挑戦精神をもっています。私も最近、ますますその傾向が出てきました。還暦を前にダイビングを始めたし、今年3月にはアメリカで無重力体験をしてきました。アメリカでは、昨年から民間宇宙旅行が始まっています。ボーイング727をロケットのように改造した乗り物で空高くあがり、そこから無重力状態で落ちる。そんなツアーに参加してきました。まるでウルトラマンになったような気分で、本当に面白かったですね。せっかくなので、無重力状態で文章を書いてきました。
3年後には宇宙ホテルに宿泊できるようになるそうで、すでに募集も始まっています。この宇宙ホテルには、何としても泊まりたいですね。とりあえずそこまでできれば、人間としてやるべきことはやったかな、と。意味やまじめな目標がなくても、冗談で何にでも挑戦できてしまうところが、団塊世代ならではなのかもしれません。ダイビングも宇宙旅行も、団塊世代の姿が多かったですね。
読書で自分を見つめ直してみる
団塊の世代は、高度経済成長の申し子であり、個人主義やオタクの走りです。親の世代と違い、社会の慣習やしがらみより、個人の幸せや楽しみを優先して生きてきました。会社人間を装いつつも、自分のこだわりや趣味を大切にし、定年後に自分の好きなことをやるための準備を着々と進めてきたような人も少なくない。サラリーマン時代の私も、定年退職を指折り数えてまっていました。
でも、いざ定年を迎え、自分の好きなことをやろうとなったとき、自分たちが大切なものをないがしろにしてきたことに気づくような気がします。それは家族や地域のきずな、古き日本人の美徳といったもの。会社という組織から離れてはじめて、実はそれらが人生の大切なセーフティーネットであったことに気づく。定年後に、それまでの生き方のつけが突きつけられるのです。60代は、体力的にも無理がきかなくなってくるし、やり直しはできません。これまでの生き方を見直し、今後どのように生きていくのか、大きな覚悟を決める年代です。そんな60代には、読書で自分自身の生き方を見つめ直してみるものいいでしょう。
私たちが失ってしまった、日本人の美徳や生き方とは何なのか。それを教えてくれるのが、山本周五郎の『日本婦道記』です。これは泣けます。この本を読んで、私たちのおばあさんや母が、なぜあんなに強かったのかがよくわかりました。日本を支えていたのは、偉い政治家や経済人ではなく、無名の女性たちなんだということがよくわかる。自分の権利を声高に主張するようなことはせず、他者のために生きながら、きちんとした覚悟をもって正論を言える。そんな、最近少なくなってきた古き良き日本の庶民が描かれていて、団塊の世代、とくに女性にすすめたい1冊です。
人間は誰でも死ぬことができる

60歳を過ぎれば、誰もが死のことを意識するようになるでしょう。死を考えるうえでぜひ読んでいただきたいのが、私が監修した『知識人99人の死に方』です。手塚治虫や永井荷風、澁澤龍彦など、作家や表現者の死に際を紹介しているのですが、たいていの人は自分の死を直前まであまり考えていない。どんな偉い人でも、死が現実になってはじめて大騒ぎします。そしてすべての人に共通しているのが、どんなに死ぬのが恐くて、痛くても、死にきれなかった人はいないということです。人間は必ずみんな、平等に死ぬことができる。恥多き人生にピリオドを打つことができる。そう考えれば、死を必要以上に恐れたり、神秘化したりする必要はない。むしろ、どうせ最後は喜劇的に死ぬのだから、生きている間は一日一日を大切に、充実したものにしようと思えるのではないでしょうか。
平安時代の僧・源信が書いた『往生要集』も面白いですね。人間が死んであの世に行くまでを、まるで見てきたかのようにリアルに描いています。人間は生きているうちに嘘(うそ)をついたり、悪いことをしたりすることで、悪い垢(あか)がたまっていく。毛穴のなかにその垢をなめる虫がいて、それがどんどん増えていく。そしてついには死ぬ。人間が少しずつ腐っていく恐怖は、下手なホラーよりよっぽど怖い。これを読むと、誰もがショックを受けて、今日から節制して生きようと思うのではないでしょうか。
死生観や生きる意味を考えるうえで、ぜひ読んでいただきたいのが稲垣足穂です。彼のエッセーのなかに「我々は宇宙の一生命体として、ちょっとネクタイをとりに地球に寄ってきた」という文章がありますが、このようなSF的な視点で自分という存在を見つめることは重要です。このような発想をもてば、小さなことでくよくよ悩むことがバカバカしくなってきます。


