この春、南さん夫婦の暮らしには、もうひとつ大きな変化があった。長年、越生で最初に借りた古民家をギャラリー&カフェ「山猫軒」として残し、週末の営業日だけ、車で数分の自宅から通う生活を続けてきたのだが、これを自宅1か所にまとめることにしたのだ。
「2つの家を管理するのはやはり大変。できるだけ無理をせず、できる範囲でやっていくほうが快適だな、と」
撮影スタジオの機能を持たせ、ときにはジャズコンサートも開催していたホールは、テーブルを並べればそのまま喫茶室として使える。さらにスペースを広げるため、斜面に張り出すテラスも自作した。友人の金属造形家は、猫や鳥の姿をちりばめたフェンスも作り足してくれた。梁(はり)を現わしにした大空間は、アート作品を展示するスペースとしても十分だ。

以前の場所はハイカーの通り道でもあり、リピーター以外にも立ち寄る人は多かった。通りすがる者もないこの場所で、客は変わりなく来てくれるのだろうか。気をもむ友人達もいたが、杞憂だった。オープン当初から、新「山猫軒」は空席待ちも続出するほどの盛況となったのだ。
木々の緑に包まれた建物、鳥のさえずりや虫の声……。そんな心地よさを味わいに、週末のたび大勢の人が「山猫軒」を訪れる。山の湧き水でいれたコーヒー、産みたての新鮮な卵で作るケーキ、自家製野菜のカレーやピザのおいしさも人気の秘密だろう。天然酵母のピザを、1日数十枚と焼くのは達雄さんの担当。千代さん手作りの梅干し、乾物、庭先卵などを楽しみに買って帰る人も多い。
なんとなく夢を追ううちにここまできただけという2人だが、次に思い描く夢は……?
「何も決めてないの。そのほうが可能性も無限でしょ」と千代さん。「突然、海のそばに引っ越したっていい。そしたら海猫軒ね」
ある日、山あいを訪ねると建物はまぼろしのように消えていて、足許にひらりと紙切れが1枚。「海猫軒、始めました」。本当にそんなことが起きても不思議ではないような……。なにしろ「山猫軒」とは、宮澤賢治の童話に出てくる料理店の名なのだから。


ある朝、ポストをのぞくと、入っていたのが草の葉で作った2匹のキリギリス。人通りのほとんどない山道で、誰が入れたのかまったく心当たりは無し。まるで宮澤賢治の童話のよう? なんだかうれしくてずっと飾っている。

南 達雄、千代(みなみ・たつお、ちよ)
達雄さんは1948年京都府生まれ。出版社専属カメラマンを経て、コマーシャルカメラマンに。千代さんは1953年宮崎県生まれ。コピーライターとして活躍してきた。著書に「山猫軒ものがたり」(麦秋社)「都市よ、さらば」(麦秋社)「夢みるエゴイストたち」(邑心文庫)など。
ギャラリー&カフェ「山猫軒」は、金・土・日・祝日のみ営業。埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷137-5 Tel:049-292-3981 11時〜19時 8月27日まで、日本画家・竹内啓と陶作家・竹 内晴美の2人展を開催中。
山猫軒の公式サイトはこちら http://www.yamaneko.info

文 :秋川 ゆか
写真:長尾 浩之
(更新日:2006年08月04日)
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