都心部をわずかに離れた東京都武蔵野市。通勤通学の昇降客で込みあうJR駅を出て、2分ほどの場所に、歩道に向けて野菜を並べた小さなコーナーがある。ナス200円、空心菜(くうしんさい)150円、つるむらさき150円、栗200円……。楽しげなプレートを掲げたそばに売り手の姿はない。買う時は置いてある木箱に自分でお金を入れるしくみ。荒井たかしさん・静江さん夫婦の庭先販売所だ。通る人は次々に足を止め、収穫したての新鮮野菜を選んでいく。
野菜を作るようになったのは5年前。それまでは農業には無縁の暮らしだった。たかしさんは外資系コンピュータメーカーの営業職、静江さんは電機メーカーの設計エンジニア。2人の娘を育てながらも互いに仕事は多忙で、残業は毎日のこと。年間に国内外200日もの出張に飛び回ってはいても、たかしさんにとってはやりがいの多い充実した日々だったという。40歳の時には日本でのトップセールスを記録し、海外のリゾートを舞台にした表彰パーティ―にも招かれた。
最初に畑を始めたのは静江さんだった。過労で体調を崩して入院し、同時に仕事への限界を感じて退職。知人の勧めで近隣の援農ボランティアに参加しながら、JR駅近くに残る実家の農地に少しずつ種をまき、苗を植えていった。
「子供のころは農業が嫌だったから工学部に進んだはずなのに、歳と共に無性に土に触れたくなったんです」
作った野菜は出荷するほどの量はなく、実家の門前で販売することにした。すると、買った人がちょくちょく声をかけてくれる。おいしかったよ。今日は何があるの? そんな反応がなんともうれしい。採りたての野菜は自宅の食卓にも並び、家族を喜ばせた。
そうして静江さんが少しずつ手応えを感じ始めたころ、たかしさんが勤めるメーカーでは、企業合併にともなう早期退職者の募集が始まった。
「会社でやるべきことは十分にやりきった。当時は42歳で、人生の折り返し点としてもちょうどいい。迷いはありませんでした」
たかしさんもまた、妻と一緒に農地を耕す道を選択した。

※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。