中原さん夫婦にとって持ち家はこれで2軒目だ。学生時代に出会い、結婚後は千葉の公団住宅での暮らしが長く続いた。しかし、研究生活を送る道子さんの蔵書は増えるばかり。
「テラスに置いた収納庫もいっぱいになり、いよいよ収納場所もなくなって。父の勧めもあって、ついに家を建てることにしました」
当時は30代。納得のいく建築家を探し、3年かけて落成した家は傑作として評判を呼び、多くの雑誌が取材に来た。半地下を1万3千冊分の書庫にした2階建て。掃除がラクなこと、ホームパーティー を開きやすいことも条件だったそうだ。
やがて洋さんは1年半の語学留学を経て独立。取材で世界各地を飛び回るようになる。大学の研究室を仕事場に、調査などで足繁く海外に出向く道子さんともども、多忙な日々が続いた。
「それでもしじゅうパーティーをしてました。楽しかったですねぇ」

その家には31年間暮らした。2軒目のきっかけになったのは、道子さんの退職だ。研究室にあった5千冊の書物をどうするか。住まいの書庫はすでに満杯だ。仕事場用として近くにマンションを買うか、小さな土地を購入して小屋を作るか……。いずれにしても相応の金額がかかる。考えた末、住まいを売って新たに2万冊分の書庫 を設けた「終(つい)の棲(す)み家」を建てることを決断した。
設計は、数多くの美術館のほか、高齢者住宅も何軒か手がけている若手建築家の小川広次さんに依頼。
「美術館の経験が豊富だから絵などを飾るにも安心だし、若い人と仕事をするのは面白いですから」
プランを作る段階では、洋さん自身が多数の建築に触れる中で培ってきたこだわりを随所に取り入れた。
「例えばスウェーデンの老人ホームで入居者に聞くと、歳を取ると孤独が一番怖いと言う。福祉が充実し、頑健な人は90代でもひとりで暮らすお国柄でもそうなんです。ではどうするか。女房とも何度も話し、とにかくお客が気軽に来れる家にしよう、と」
その思いを象徴するのが茶の間だ。昔ながらの日本の家は、客は座敷に通し、家族のだんらんは茶の間が中心になったものだ。茶の間が散らかっていても、客の目に触れることはない。
「だから2階の一角にテーブルを置いた茶の間を作りました。3階のLDKを客間として整えておけば、ふいの来客もすぐ通せます」
4階にはゲストルームも設けた。小さいながらも専用トイレやシャワーブースのある和室は、海外からの客も気兼ねなく滞在できる。ネパールやマレーシア、ドイツ、韓国……今では多くの国々の友が中原家で過ごす時間を楽しみに訪れる。

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