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Vol.16 月に一度は庭を舞台に集まって「鉄道模型」を囲む運転会 富永一矢さんを訪ねて

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演劇界で活躍しつつ続けてきた模型作り

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レールを組み、調整するのは富永さん

小学校低学年のころの富永少年は、他人と口をきくのも苦手ないじめられっ子だった。見かねた教師が校内での芝居で主役を務めさせたのが最初。演じることの面白さにすっかり魅了され、やがて10代からNHKドラマやプロの舞台にも出演するようになったという。鉄道模型を作り始めたのも10代のはじめだ。当時あったのは45分の1縮尺のOゲージ。父親の名刺など、厚紙を切っては列車や市電を作った。

21歳で劇団民藝に入団。さらに青年芸術劇場の設立メンバーとなり、次には劇団雲へ参加した。俳優を続けてはいても、仕事のない時期も多かった。妻が働いている時間、一緒に暮らしていたアパートの一室で、オファーの電話を待ちながらボール紙で作っていたのは、やはり鉄道模型だった。

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精密に作られた駅舎には人々の姿も

34歳の時、富永さんは役者から制作側に転じる。三百人劇場の技術管理者となり、40代で支配人に。忙しい日々は続いた。そして、ついに倒れる。病名は「椎骨脳底循環不全症」。三半規管に血液が流れにくくなり、めまいを起こすというものだ。治癒には、ストレスのない環境で休むしかない。

「実家での静養は1年半。働きざかりですし、何かせずにはいられない。それで、再び模型を作り始めたんです」

完成した模型を走らせるため、庭のレールもこしらえた。周囲に配置する駅舎や民家、店なども作った。病が癒え、俳優座劇場の支配人を務めるようになってからも、隅に置いたデスクで、こつこつと模型作りは続けていった。

「昔は、小道具のおトミって呼ばれてたくらいですから。器用ではないけれど、アイデアを練るのが楽しいし、根気もある」

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図面をもとに材料を工夫して制作する

長年、演劇に携わる中では、全国各地に出向いての公演も多かった。大道具、小道具の制作にかかわれば、材料を工夫し、コンパクトに輸送できる手だても考える。出かけた先々の景色や建物のたたずまいも、写真に納め、模型に生かすことができる。もちろん、育った土地の風景も、80分の1サイズの数々の建物に懐かしく反映されている。

「結局、子供のころからずっと、演劇と鉄道模型という2本のレールの上を走り続けてきただけなんです」という富永さん。決して捨てることなく続けてきたからこそ、今があるのは確かなことだ。

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