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真鍋さん一家が幼稚園を住まいにするに至った経緯は、若い日の東京生活までさかのぼる。上京して美術大学で学んでいたころは、住むアパートにも困ったものだった。室内で存分に絵の具を使うことが許される物件は少ない。条件の合うところを探して転々と移り住むうち、大学の先輩から、いわゆる「米軍ハウス」の存在を聞いた。当時は立川基地近くに、米軍の軍属向けに建てた戸建ての貸家がいくつもあったのだ。
天井は高く、室内はゆったり。みな、自分たちで手を入れて暮らしている。近所には、60年安保でドロップアウトしたようなユニークな人々や、今では有名になった音楽家なども多く住み、独特の自由な雰囲気が横溢(おういつ)する場所だった。絵の具メーカーに勤める会社員になってからも友人とシェアして住み続け、妻の道子さんとの結婚生活も別の米軍ハウスでスタートした。

「インテリアの仕事をしていた妻とは、いつかハウスのような感じの家を新築したいと話していました。でも2人ともどんどん忙しくなって」
せっかく居心地のいい借家にいながら、描く時間もあまり取れない。絵は一応続けていたが、更に展開したい気持ちもつのる。そうだ、フランスに行こう――。結婚して7年目、2人の思いが一致した。
道子さんは仕事のかたわらフランス語を習っていた。仕事柄、ヨーロッパの建築にも興味がある。真鍋さんもまた、ヨーロッパの絵画に直接ふれてみたかった。夫婦2人なら日本を離れるにも身軽だ。仕事を辞め、住まいを引き払い、パリに行った。38歳のときだった。

パリで生活したのは1年あまりだ。何もプランを作らず、とりあえず語学学校に行くことから始めた。3カ月間学んだ後は、アトリエに通って、学生時代に戻った気分でクロッキーをしたり、美術館やギャラリーを回ったり。建築や絵を見るため、ヨーロッパ各地を、安宿を探して旅もした。費用はそれまでの7年間の貯えだ。
「とにかくお金が続くだけ滞在しよう、と。その日々は、改めて自分の内なるものを見つめ、生きる道を考える期間になりました」
帰国する時には、資金は本当に尽きていた。もう、会社員として働くつもりはない。しかし、住む場所をどうするか。フランスに行く間、倉庫代わりに荷物を置いていた場所が、この幼稚園だった。とりあえずここで暮らし、絵を描いて生きていこう。そう決意した。

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