そもそも、なぜアメリカの大工たちと友人になったのか。
「もう10年くらい前、新大阪駅でたまたま声をかけたのが、アメリカから仕事で来た大工だった。なんとなく話が合ってその晩は一緒に飲み、翌日にはわが家に招いていたんです」
以来、出張でアメリカに出かけるたびに会って釣りやバーベキューを楽しみ、他の大工仲間との交流も広がっていったのだという。
若いころから海外を歩き、さまざまな人に出会ってきた。10代で当時のソ連や中国を訪ね、20歳の時にはアメリカやカナダを、1カ月100ドルの資金でヒッチハイクして回った。

「ベトナム戦争のこともあって、それまでアメリカは好きじゃなかった。でも皆、こんな素性の知れない日本の若者を快く車に乗せ、家に泊めたり野球観戦に誘ってくれたり。そのふところの大きさはすごいと思いましたね。本当に楽しかったな」
国籍や年齢を問わず、人を広く受け入れようとする大槻さん自身の姿勢も、その経験があるからなのだろう。今も、駅などで会った外国人をそのまま家に連れてくることもしじゅうあるという。
日本に戻ると、2年間のアメリカ暮らしで覚えたレザークラフトの店を開き、並行して、仲間とともにグアム島を舞台に子供たちのための冒険学校も始めた。やがて会社を興し、オリジナルデザインのインテリア雑貨の生産へ。アメリカやヨーロッパの伝統的な生活道具をイメージした品々は、予想を越える人気を生んだ。
協力生産工場を探したり、商談や視察に出向いたり、海外との行き来はひんぱんだ。そのたびに仲間も増え、ともに過ごす楽しみも深まる。家族同様の付き合いをする友も、世界各地に広がった。

キャビン作りには、台湾から来た16歳の少年も加わった。親しい製造会社の社長の息子だ。
「タバコを吸い、学校に行かずにバイクを飛ばしてばかりのドラ息子。キャビンの話をしたら、父親が連れてきたんです」
本人にとっては不本意なことだったかもしれない。言葉は台湾語しか知らない。宿泊先の家族は日本語しか話せないし、一緒に泊まった大工たちは英語のみ。木工仕事の経験もない。へんぴな山間部での生活に最初はすっかりふてくされていたそうだ。それが1カ月もたつと変わった。
「自分の作業に責任を持ちはじめ、驚くほどたくましくなって。よく頑張ってくれました」
言葉を超えたコミュニケーションの楽しさや、自然の中で共同してものを作る面白さを知ってくれたなら、それが大槻さんにとってなによりの喜びだ。

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