廣川さんが携わってきたのは、すべてが「まち」と「ひと」の活性化を促すためのこころみだ。新潟県をルーツとする建築工務店の10代目。東京に出たのは祖父の代からだという。
「もともとは、寺も建てれば家も作る、いわゆる村の大工です。曾祖父の前の代あたりでは腕の良さで知られ、軽井沢にも支店があったらしいですね」
父の代からは住宅が専門になった。顧客は世田谷の旦那(だんな)衆。
「昔の大工は、何軒かのお得意さんがあれば成り立ったんです。毎月、屋敷に行っては、職人を使って茶室を作ったり座敷に手を入れたり。普請道楽の旦那さんと一緒に、九州まで材料を見に行ったりもしてました」
父は自分で大工仕事をすることはなかった。現場の仕事はすべて職人たちにまかせる。廣川さんや、その兄にも、一切の大工修業はさせなかったという。発想が狭くなるというのがその理由だそうだ。廣川さんは小さいころから、画商や骨董商が家に持ち寄る名品を目にし、熟練職人たちの仕事を間近に見て育った。
「ノミやカンナ、銘木の端材なんかも遊び道具でしたね。園芸も好きで、小学生時代から盆栽も作ってましたよ」
家業を継ぐつもりのなかった大学時代は、牧場経営に憧(あこが)れて農獣医学部に学び、経営に役立たせるため観光事業研究会にも入った。
「ここで読み込んだ『サークル論』と『観光論』の2冊の本が、今の僕の根本になっているんです。多様な人が集まって粛々と物事を進めていく方法論、そして日本の観光地は自然や歴史を背景としてこそ生きるという考え方ですね」
20歳で、仲間と共に、観光の本質を考え、都市研究に取り組むグループ「芋こじ会」を作った。芋こじ――泥にまみれたサトイモが、もまれ合うことで白くきれいになっていくイメージだ。
そうした中で、廣川さんは各地に残る古建築のすばらしさにめざめていく。見えない部分までも遊びをこめた数寄屋(すきや)造りのおもしろさ、職人のわざを尽くした茶室の妙。まちおこし地域おこしと、家業を通して幼少から親しんだ建築とがつながった。
今、工務店「らぶひろ川」としても、一般住宅の建築以外に、各地の民家の再生や修復を多数手がける。特に力を入れているのが、群馬県嬬恋村(つまごいむら)での古民家再生。村と明治大学、中央工学校、らぶひろ川とでプロジェクトチームを組み、現代風に補修されていた空き家を往時の形に戻そうというのだ。一般の人々を集ったワークショップ形式の作業は、時間もかかるが、参加者にとっては昔ながらの建築技術を知り、地域の文化を考えるいい機会だ。周囲の15万坪の敷地も、親子で自然に親しむ場として期待できる。これからどうプロジェクトを進展させるか、廣川さんの夢は広がる。

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