「子供のころから今に至るまで、本当にいろんなことをしてきました。だからアイデアもわくし、人の輪もひろがっていく」
独立したひとつひとつの活動が、廣川さんを通して有機的なつながりを生み、また次の動きへと結びついていく。
廣川さんがかかわる活動は、ほかにもまだある。
ひときわ長く続いているのが「多摩川を歩こう会」。35年ほど前、青年会議所が提唱したラブリバー運動の一環として、大田区の有志が集まり、多摩川べりを歩いてさかのぼった。おもしろくなって、その後も毎月、皆であちこちの川沿いを歩くようになった。鎌倉、伊豆、日光……いつのまにか、出かけるエリアは川以外にも広がり、登録メンバーは30人ほどに。今は、1月は初心に返って多摩川歩き、2月は恒例の鎌倉七福神めぐり、ほかの月は、そのつど担当の委員が下見して行き先を決める。
「午後の早い時間には歩き終わって、近くで飲めるようにコース設定するのが、ルート作りのプロ」と廣川さん。もちろん、コース上のみどころも重要だ。「最近は忙しくなって、僕自身はあまり参加できなくなったんですが。この会を通して出会った人や、見てきた町のあり方が、ほかの活動にも役立っているんですよ」
遊びのグループもいくつか。ビール好きがこうじてはじめた「ベルギービールの会」では、ついにビール会社の技術研修センターで自ビールを作った。茶室を見て歩く勉強会からは「和菓子の会」も生まれた。自分たちで、茶の湯に使う菓子を作り、気楽な茶会を楽しむのだ。5、6年間続けてきたこの会の成果は、大田区の観光協会での活動にもつながってきたという。

もちろん廣川さんひとりでもあちこち出かける。20年ほど前から能や狂言、人形浄瑠璃に通いはじめたのは、日本の伝統芸能をすべて見てみたいと思ったからだった。そこから伝統的な祭への興味も広がった。数十年に一度の神事など、丹念に情報を集めて見に行く。そこでまた新しく、人とのつながりができる。
「僕はオバサンだから。どこに行っても、黙って見るだけで帰ってくることはない。行く先々でいろんな人に話しかけ、仲間ができていく。そうして、何かあるたびに声がかかるようになる」
そんな毎日だから、当然忙しい。たいてい午前4時すぎには起きて、6時には仕事をはじめる。自転車や徒歩で町をめぐる活動は、体力の維持に役立っていることも間違いない。
「お金にならないことばかりやってます。でも、まずは自分が動かなければ。そこから、おもしろがってくれる人、一緒にやりたいという人が出てくるんです」
だから、やめられないと廣川さん。人やまちと触れ合う楽しさをエネルギーにした活動の日々は今日も続く。


廣川さんが「おもしろいでしょ」と見せてくれたのは武者の形をした木彫り。顔の部分は別に彫ってはめこんである。これは何? 30年前、新潟に残っていた祖父の家を取り壊した時に見つけたものだとか。おそらく、どこかの建物の欄間の一部を、何代か前の先祖が保存しておいたらしい。当時、廣川さんは20代。そのころから古民家に興味を持っていれば、もっといろいろ持ち出したのに……とちょっと悔やんでいる。

廣川和徳(ひろかわ・かずのり)
1948年東京都生まれ。10代続く廣川工務店の当代。日大農獣医学部食品経済学科で学びつつ、都市や観光にかかわる研究を進めた。33歳で家業を継ぎ、現在は「らぶひろ川」の社名で自身の仕事を続けている。民家の再生や、古材を利用した店舗建築などを行なうかたわら、各地でのまちづくり地域づくりのボランティア活動にいそしむ。旅、祭めぐり、カメラなど趣味も多彩。

文 :秋川 ゆか
写真:川崎 太郎
(更新日:2007年05月25日)
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