「レーサーは決して、命知らずではないんです。装備も走り方も十分に気をつけて、いかにタイムを上げるかを競う。公道を走るよりも安全なんですよ」と言う祐二さん。とはいっても小さいケガは尽きない。「つくばでも、20年かけて全コーナーで転びました。去年も靭帯(じんたい)が腫れあがったし。でも、懲りることはありませんねぇ」
平日は多忙だ。レースのある週末は、金曜の夜に仕事を終えると、ワンボックスカーにオートバイを積み、サーキットに出かける。土曜は練習し、日曜が本番。そして帰宅すると翌朝からまた忙しい日が続く。レース開催のない時も、月に1、2回は練習走行に行く。各サーキットが発行するライセンスがあれば、1走行2500〜3000円ほどで誰でも走れるのだそうだ。

行けば、どのサーキットにも見知った仲間がいる。年齢も職業も越えて、オートバイという共通言語のもとに話が弾む。60代の草レーサーもめずらしくはない。
「サーキットでぐるぐる回って何が楽しいのかと言う人もいるけれど、気温やセッティング、体調、いろんな要素がかかわってくる。すべて同じ条件だとしても、同じタイムにはなりません。それが、おもしろい。勝つことよりもむしろ、いかにタイムアップするか。皆それぞれに研究しています」
ガレージに集まる仲間たちもそうだ。部品ひとつをめぐって朝まで話すことも多い。
草レースでは1回の走行はサーキットを10数周回って、都合15〜20分ほど。わずかな時間のようだが、筋力が落ちればつらくなる。だからサーキットに出ない週末は、トレーニングとして自転車で数十kmを走る。
「バブルの時代には、かっこよさにひかれて始める人も多くいました。でも、そういう人たちは長続きしませんでしたね

レース自体は華々しい印象であっても、整備や練習など地味な作業のほうが圧倒的に多い。ケガもすれば、大切な愛車にはキズもつく。それでも続けていけるのは、とにかく好きだという思いひとつだ。
今はオートバイから離れ、趣味のフラワーアレンジメントに力を注ぐ伸枝さんも「普通に町を歩いていても、どんな事故に合うかわからないんだから、好きなことをして、悔いのないように生きてほしい」と応援する。
もしも若い日にもう一度戻れたら、プロのレーサーをめざしただろうか。祐二さんにたずねてみた。
「プロレーサーは勝つことが目標。辞めたら一切乗らなくなったりする。僕らは草レーサーだからこそ、この先60歳を超えても、タイムを追求しながら乗り続けられる」
「草」には「草」の奥深さが、確かにあるのだ。


レースカーにはさまざまなステッカーを張るのが常。愛車ドゥカティにも、祐二さんの会社「東栄貿易」のロゴが。よく見ると、ワイングラスのマークの端に線が入っている。ドゥカティのマークの丸に一本線を入れたもの。イタリアの工場を訪ねるほど愛着を持つドゥカティに敬意を表して、ちょっとだけマネしてみたのだとか。「このグラス、ヒビが入ってるよ、なんて言われますが」。

窪田祐二(くぼた ゆうじ)
1953年東京都生まれ。幼少期から父と共にサーキットに観戦に出かけていた。3歳に始めたスキーでは、東京都代表として国体に出場の経験も。15歳でオートバイに出合い、大学卒業後は大手広告代理店で営業を勤めながら、休日はツーリングへ。結婚してすぐに草レースへの参加を始める。妻の伸枝さんの父が創業した酒類輸入会社に20代で入社、現在は代表取締役。伸枝さんは1956年東京都生まれ。スキーを通して祐二さんと出会い、21歳で結婚した。プリザーブドフラワーのアレンジメントが趣味。

文 :秋川 ゆか
写真:長尾 浩之
(更新日:2007年07月06日)
※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。