小さいころから、なぜか日本の民芸が好きだった。東京で育ちながら、背負子(しょいこ)やワラジ、かご、かんじき、そんな山の暮らしに根ざしたものに惹(ひ)かれた。子供だから、値段のはる本物にはなかなか手が出せない。山歩きなどの機会をみては、土産物屋でミニチュアの民具を買い集めた。料理を作るようになったのも小学生時代からだ。玄米と野菜が中心だった家の食事に飽き足らず、マヨネーズをこしらえたり、ピザに挑戦して妹と分け合ったりもした。
中学校では入学してすぐに登山部を作り、高校では山岳部。各地の山を訪ねるたび、ふもとの店で小さな品々を買った。修学旅行でも仲間との旅でも、ミニチュア民具に目が向かった。

「背負子やワラジに陶器が加わったのが中学生くらい。当時は不良でね、ラッパズボンに真っ赤な裏地の学ランを着て、タバコをふかして歩く。人望があって生徒会長も務めたが、他校とのケンカもしじゅう」
そんな絵に描いたような不良少年が、土産物の小さな民具を「お、かわいいじゃん」などと言って集めるのである。家に仲間が集まれば酒盛りだ。料理の腕を奮ってツマミを作り、気に入りの器に盛る。賭けマージャンに勝って、友人の父が持つ備前の器を所望し、「見る目はある」と言われたこともある。
大学ももちろん山岳部、フリーランスで雑誌の編集ライターの仕事につくようになってからも有志と共に「山の会」を作った。仕事では、山の旅と食を主たるテーマにさまざまな土地をめぐり、またさらに多くの民具が集まっていった。
長年段ボール箱にためていくだけだった品を、なにかの形にしようと思い立ったのは30歳ごろのことだ。ミニチュアとはいえ、どれも本物さながらの手仕事。これを飾るための一軒の家を作ろう――2年間にわたって構想を練りつつ材料を集め、仕事のあいまを縫っては制作を続けた。

ようやく完成した民家は、その大きさもあって、その後は制作現場でもある実家に置いたままになった。民具集めは続けながら10数年が過ぎた。
「でも、やがて一人暮らしの母親を心配するべき時期もきました。実家に戻るなら作った民家の置場も考えなければならない。それで、実家から通える距離に、置き場所を兼ねた店をやってもいいな、と」
懇意にしていた骨董店の隣に、ほどよい規模のスナックがあった。そこが偶然にも、1年を待たずして閉店。落合さんは、7カ月間かけて仕事を整理し、「豆柿」店主になった。手塩にかけた民家と、小学生時代から大切にしてきたミニチュア民具は、こうして日の目を見ることになったのだった。

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