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24歳で日本に渡るまで、ミゲールさんは数多くの国で暮らしてきた。生まれはサンフランシスコ。幼いころの数年は父の故郷であるウルグアイに住み、その後はニューヨークで育った。10代になると父の仕事でスペインへ。16歳で家を出てからは、アルバイトをしながら好きだった文化人類学の勉強を続け、やがてフランス、ドイツ、イタリア、イギリスと移り住んだ。
「一番苦労したのはパリ時代。学費を稼ぐのが精いっぱいで、家賃が払えず、友人宅を泊まり歩いてました」
ロンドンでは12人の仲間とともにバンドも組んでいた。評価は高く、皆の学費が十分払えるばかりか、建物を借り、車も持てた。
「でも、だんだんヨーロッパが面白くなくなって。ニューヨークに1年くらい戻ったんですが、殺伐とした競争社会で性に合わない」
そこで生地のサンフランシスコを訪ね、次の行き先を考えた。西海岸の先にはもう海しかない。その向こうに、日本があった。別の文化を見てみよう――。東京への片道切符を買った。

日本では英語教師としてさまざまな大学で教え、語学関連の本も次々と出した。そのうちに、海外の経済人の聞き書き本や、海外向けの日本文化ガイドなども書くようになった。一世を風靡(ふうび)したエズラ・ボーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の続編「ジャパン・アズ・ナンバーワン─それからどうなった」も、ミゲールさんが構成したものだ。
そうした日々の中、ミゲールさんは家を作り始めた。もの作りはもともと好きだった。スペインにいたころは、リゾート地の家作りを手伝って学費を稼いでいたため、石やれんが、木材を組むための知識もあった。最初は、長野に建てたドームハウス。次には、新潟県津南町での地域おこしに呼ばれ、大勢でログハウスを作った。
「手つかずの自然が残る場所です。ヘンな開発をせず、そのままの自然を生かして、皆で過ごせるような形を提案したかった」

18年ほど前には、廃材だけを使った家に挑戦した。作業はほとんど1人。週末ごとに通って柱を立て、壁を張り、拾った岩で岩風呂まで作った。ときには友人や教え子の学生たちも手伝いにきた。
「君たち、あのへんにキッチン作って、と頼むと、最初はビックリしてる。でも、作らないと料理できないよ、と言えば、彼らだってなんとかできるものなんです」
経験のないことでも、本当に必要となると工夫する。それが人間というものだとミゲールさんは言う。
「人間は基本的に、家を作る、服を作る、作物を育てるといったことは誰でもできる。そうでなければ生きていけません」
この家は、週末の住まいとして十数年間使った。しかし、掘った井戸は冬しか水が出ず、わき水を運ぶにも体力がいる。建物も徐々に傷みが生じてきた。そんな時、同じ津南で、住む人のなくなった古民家に出あった。環境も申し分ない。さっそく、改装をスタートした。

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