一般には便利だとされるものでも、なくても生活できるなら持たないことを徹底する2人。だが、逆に家の中には、普通ならあまり見かけないような品がある。時代を経た道具類だ。
火鉢の横には、使いこんだ火おこしや炭入れがある。台所を見ると、配膳(はいぜん)台として使っているのは、眞知子さんの父が作ったという古い杉板のテーブル。棚には、懐かしげなデザインの食器類。どれも、建て替える前の住まいで使ってきたものだそうだ。壁には、いくつもの鍋が下げてある。よく手入れされたひとつひとつが、表面のキズやへこみに歳月をにじませる。アルマイトのカップも、ずいぶん昔に見かけたような形。眞知子さんが幼稚園のころから愛用した品だ。
「ものが捨てられないんです。だって、どれもちゃんと使えるでしょう」と言う眞知子さん。

本棚、座卓、イス……室内の家具も古いものばかり。見渡せばこの家には、新しいものはほとんど何もない。読書に使う電気スタンドも、子供の時に買ってもらったものだ。この家を建てて以来、新たに購入した生活道具といえば、衝動買いしたという鋳物鍋二つと、仕事上どうしても必要になって今夏に導入したパソコンくらい。
骨董(こっとう)好きというわけではない。だから、わざわざ古い道具を買しうこともない。ただ単に、育った家で長く使われてきたものを、そのまま受け継いできただけ。けれどもそんな暮らしぶりが、今の時代にあってはなんとも希少だ。
ふと、ダイニングに置かれた座布団に目が行く。さまざまな柄の古布をパッチワークした、眞知子さんの手製だ。
「あ、この生地は覚えているよ。キミが20代の時に着ていたスカートだ」。達郎さんが言う。
「そうよ。こっちは中学生のころのスカート。これはおばあちゃんの着物」

納戸の奥には、たくさんの布の入った箱がある。中学生時代どころではない。中には、母が着ていた服地や、小学生の時に授業で作ったパジャマの残り布も。ほんの小さな端切れも、なにかに生かせると思うと、とても捨てることはできない。数十年にわたって保存してきた布が、今もときどき取り出されては、パッチワークスカートや達郎さんのバッグに姿を変える。
「古いものは、まだいろいろありますよ」と眞知子さんが出してくれるのは、たとえば小学生のころに兄が作ってくれた硯(すずり)箱。水墨画を趣味とした父が自分で作った墨も添えられている。今もこれを使って習字をするのが日課だ。祖父が満州であつらえた中国服もある。100年も過ぎた繻子(しゅす)の上着は、今も冬の外出着として活躍する。おもちゃの入った箱も登場。中身は、木製のグリコのおまけや昭和初期のゲームなどマニア垂涎(すいぜん)の品々だ。幼少期の眞知子さんがきょうだいで遊んだ道具を、おいやめいも楽しみ、今はその子供たちがこの家に来るたびに遊ぶ。
「母も祖母も、こうやってものを大事にして暮らしてきたから。なにも特別なことではないんです」
そうかもしれない。昔は確かにそうだった。

※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。