アパレル業界で猛烈に働いた時期を過ぎ、自然と向き合いながら、植物の魅力を伝える仕事に――。山と都市を行き来する暮らしは、田中さんの生き方を大きく変えた。忙しいことに変わりはないが、大自然の悠然たるサイクルが、手帳やカレンダー以上に季節の流れを意識させる。
「植物は、動かないようでいて刻々と変化していきます。春に葉を出し花を咲かせ、秋には紅葉して、また散っていく。ものすごいエネルギーを感じます」
山で過ごす時、田中さんは屋内にいることはほとんどないという。川遊び、森歩き、里山散策、庭仕事。自然の中にいるだけで、盆景や工作のアイデアもわいてくる。
時間がある時は、友人や親戚(しんせき)にも大勢声をかける。子供たちは森を駆け回って大喜びだ。秋から冬は一面の落葉。春にはコシアブラやフキノトウなどの山菜も採れる。そして、妻と2人で過ごす日は、食事をしながら杯を傾け、ゆっくりと会話を楽しむ。
「僕はアウトドアの話、インドア派の奥さんは出会った人の話。互いに趣味も友人関係も違うからおもしろいんです」

田中さんには7年前から、もうひとつ趣味が増えた。ブルースハープである。
バンドを組んでいた高校生時代、興味を持って1本のブルースハープを買った。でも教わる場所もなく、それきりに。青春時代の悔恨の1ページだ。40代も終わりに近づいたころ、雑誌で教室の載った記事を見た。そこで即座に連絡し、月3回通うようになったのだ。小さい楽器だから、いつでも手元に置いて吹ける。山の行き来で渋滞にはまっても、練習の好機だと思えば苦にならない。
「吹くのはブルースやアイリッシュ。タンゴもいいですね。空気の流し方次第でアコーディオンのようにも、トランペットやフィドルのようにも音を出せる。楽しいですよ」
今年は全国規模のコンテストで、決勝進出の10人に残った。ライブハウスでの演奏は、おおいに盛り上がったそうだ。

話をうかがっているうち、ほどよく日も落ちてきた。盛大に燃えていたたき火も、いい具合におき火になっている。炉の網に肉を乗せ、ワインの栓を抜く。火を囲みながらの一杯ほど、心のなごむものはない。田中さんの吹くブルースハープの音色が、暮れていく雑木林にしみじみと響きわたる。
「好きなことばかりやれていいよね、とよく言われます。そうでもないんだよ、って答えるんだけど。でも皆の言う通りかもしれない」
きっと、いつでもそうだったのだ。寝る間もなかった若い日も、山の自然に親しむ今も。大切なのは、好きなことを「やれる」かどうかではない。「やる」という前向きな意欲と、実行に移す行動力だ。


廊下には古マッチをずらりと並べた額が。実は子供のころ、植物栽培や模型作りと並んで好きだったのがマッチ集め。大量のマッチをミカン箱に入れ、家の床下に隠していたそうだ。ところが小学4年の時、ミカン箱を置いたまま、近所の別の家に引っ越すことに。他人が住むようになった家の床下を、毎日のようにコッソリのぞいては悔やむ日々だったとか。長年のその思いを胸に、大人になって再び、ちょっとだけ収集した成果がこれ。20年ほど前に額に仕立てた。こうしておけば、住む家が変わっても決してなくさない。

田中静正(たなか しずまさ)
1952年東京都生まれ。子供の時は模型作りやサボテン栽培が趣味だった。メリヤス業を営む実家を継ぐつもりだったが、構造不況の時代でもあり、布帛(ふはく)の婦人服メーカーへ。やがて26歳で転職して、「スポーツブティック・サヤ」を企画段階から引き受ける。店舗数を拡大すると同時に、イベントも数多く企画。33歳で独立して婦人服メーカー「ラッキーウール」を立ち上げる。やがてフィギュアメーカーに転身、山の家に生活の拠点を移す。現在は盆栽販売と造園を中心にしたショップ「風雅堂」を経営。
風雅堂のホームページはこちらhttp://www.fugado.info

文 :秋川 ゆか
写真:伊田 淑乃
(更新日:2008年01月08日)
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