出店さんが生まれたのは、福井県にある小さな漁村だった。毎日、海や山でとことん遊んで育った。小学2年の時に家族で京都に引っ越し、生活はすっかり変わった。
「町の暮らしになかなかなじめなくて。方言まる出しだし、周囲とは学力の差も歴然。落ちこぼれの子でした」
絵を描くのはずっと好きだった。そのせいか、図工の成績だけはよかったそうだ。
中学生のころ、近所に住んでいた油絵画家が気になりはじめた。いつもスクーターに乗っていて、服装もモダン。わが家はたらいで衣類を洗っているのに、その家は洗濯機もある。
「絵描きとは、そんなに優雅で文化的な生活ができるものなのかと。本当はその人は学校の先生をしていて、奥さんも働いていたんですけれど、すっかり誤解してあこがれてしまったんです」
自分で描いた絵をときどき見てもらい、やがて美術系の高校に進学。「優雅な暮らし」を夢に、美大をめざす。ところが志望した大学はどれも不合格。印刷会社で写真製版レタッチの仕事をしながら、美術研究所に通って絵を描き続けた。

印刷のデジタル化が進む以前、印刷用フィルムを手作業で修正するレタッチマンには、美術系の人材が重用されたものだ。続いて勤めた現像所でも、ネガ修正や引き伸ばし、合成など写真を加工する技術を身につけた。
でも、やはり、優雅な絵描き生活の夢は捨てがたい。忙しい仕事の合間に描く程度では、いい絵もできない。29歳で退職し、半年間の予定でヨーロッパに旅立った。
最初の3カ月は、列車乗り放題のユーレイルパスが使えた15カ国を回った。最後に行ったスペインで、名画の模写を始めた。ヨーロッパの美術館の多くは、申し込めば館内の展示物を前にしての模写が許される。原画を見ながら写し取ることは、画学生にとってまたとない勉強の場だ。出店さんはマドリード市内のアパートを借り、プラド美術館に通って伝統の技法を徹底して腕にたたき込んだ。
「絵のことだけ考えていればいい日々。まさに黄金時代でした」

1年が過ぎて帰国する時には、日本でためたお金は、航空券代を残してすべて使い切っていた。これからどうやって生活するか……。スペインで知り合った同年配の日本人画家と一緒に、小学生向けの絵画教室を開いた。やがてそれぞれ結婚し、住む土地も変わったことで、最初の教室は4年で閉鎖。ひとりで再開するためのスペースを探して、たまたま訪ねたのが陽明保育園だった。
前園長の提案で、授業の一環としての絵画教室がはじまった。その時、出店さんは36歳。園児たちとの付き合いが、その後26年間も続くことになるとは、当時は思いもよらなかった。

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