仲間とともに取り組む、環境保護の活動も続いていた。原発問題、自然破壊、各国先住民の人権問題……。1988年夏に長野県の高原で開催した「いのちのまつり」は、全国に散っていた元ヒッピーから、環境問題に関心のある若者まで多くの参加者が集い、伝説的ともいえるイベントとなった。
作家としての転機は、14年前、ある美術館で担当したシャガール展の装飾だ。片隅に野のものを使った照明を置いてみた。自然素材の持つ力強さは来場者の注目を集めた。
「それを見た友人が、面白いから自分のギャラリーで展覧会をやろうと声をかけてくれて」
八ケ岳のギャラリーで開いた個展は、予想を超えた反響を呼ぶ。少しずつ近づいていた自然志向の時代と、見事にクロスしたのだ。以来、各地のアートギャラリーからのオファーは引きも切らず、川村さんの作るあかりは全国に広まっていく。
「僕自身、いまだにあっけにとられている感じ。環境問題をやっていく中でこうなってきただけで、本当に作家と言えるのかどうか。だからテレビ取材などは全部遠慮させてもらっているんですけれど」

でも、作品を通して自然の持つ価値が人々に伝わっていくのはうれしい。今は、作るのはあかりだけではない。草の実を入れた万華鏡、小枝の形を生かした人形、小さなひょうたんで作るスピーカー……アイデアあふれる品々は、どれも見ているだけで楽しくなる。小さいころの、木の実でコマをこしらえたり、摘んだ花で冠を編んだりした輝かしい日々を思わせるような。
「そう。みんな、自分で作ったらいいんです。小学校の授業などでも、こんな自然工作を採り入れたらいいと思うんですけれどね」
ときおり開くワークショップでも、自閉症の老人が葉や木の実にふれて、ものを作るうちどんどん笑顔になっていく。都会に住む子供たちも、万華鏡の中に展開する自然の造形に誰もが夢中になる。そんな経験が、自然への慈しみを生む。
「季節労働」が若干途切れる夏の間、川村さんは、森で静かな時間を過ごし、デザインを考え、またボランティアにも打ち込む。この20年あまりは、アマゾン流域少数民族への支援を行うNGO「熱帯森林保護団体(レインフォレストジャパン)」のイベントなどを手伝っているという。南米先住民の人々の自然とのかかわり方や、造形の素晴らしさに学ぶことも多い。

「裸に近い生活をしていても、その誇り高さや気品にはかなわない。彼らの持つ価値観には、目からウロコの落ちる思いです」
自分たち団塊の世代は、地球環境や古来の文化をどれだけ壊し、汚してきたか。その責任は大きいと川村さんは言う。わずかなりとも、自然の大切さに気づいてもらい、残された貴重な環境を守っていく手助けができれば――。ほんのりとともる美しいあかりのひとつひとつには、そんな思いが深々とこめられている。









川村 忠晴(かわむら ただはる)
1948年東京都生まれ。若者文化の中心であった青山で育ち、小学生のころは絵描きになることを夢見た。和光大学卒業後は、民放テレビ局で制作担当に。半年で退社し、フリーランスで仕事を続ける。同時に海外各地を訪ね、当時全盛だったヒッピームーブメントや、アジアの人々の精神文化にふれた。結婚を機に長野県で山暮らし。5年間を過ごした後、東京に戻り、造形デザインの仕事をスタート。友人たちと立ち上げた事務所「モンゴネットワーク」では、環境保護にかかわる多くのイベントなども手掛けた。14年ほど前、イベント美術で作った照明をきっかけに、自然物を使った造形作家として活動をはじめる。個展・グループ展など多数。作品は、JMギャラリー(東京・渋谷)にも常設している。

文 :秋川 ゆか
写真:山口 敏三
(更新日:2008年02月22日)
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