「倶楽部グリー」発足のいきさつには、大学闘争が盛んだったころの時代背景が重なる。
早大グリークラブでは毎年、卒業生を送る「送別演奏会」を開催するのがならわしだ。ところが紘輝さんらが卒業した1966年、大学は前年秋からの授業料値上げ反対運動で大荒れとなり、機動隊も入る事態に。期末試験や卒業式もできない状況の中、すべての準備を終えていた送別演奏会は、開催3日前にやむなく中止された。大切なことをやり残した思いは、送る側、送られる側ともに長く胸にくすぶり続けた。
当時の下級生も50歳を過ぎたころ、きちんと区切りをつけようとの声が上がった。
66〜69年度卒業生100人が再会し、「30年目の送別演奏会」が開催されたのは95年10月のことだ。送られる紘輝さんたちも、当然ステージに立つ。かつての心地よいハーモニーを取り戻すため練習に励み、合宿までも行った。無事に演奏会を終えた後も、よみがえった楽しさは止まらない。東京在住メンバーを中心に、定期的に集まるようになった。

第3木曜日を定例会として「三木(さんもく)会」と名付けた会は、活発な活動を続けた。他大学OG会との第九公演。荻窪音楽祭への出演。母校のラグビー応援に皆で出かけるようになったのも、そのころからだ。2001年は、世界的に知られるハーバード大学の男声合唱団「クロコディロス」の日本公演を賛助した。また02年には、日中国交正常化30周年記念事業の一環として、早大グリークラブOB会で中国演奏旅行へ。紘輝さんが団長を務め、「三木会」からも多くのメンバーが参加した。
「4泊5日の旅でしたが、歓迎は国賓待遇。演奏は中国のTVでも放映されました」
これをやり遂げたことから、皆の歌への意欲もいっそう増した。05年からOBによる正式な合唱団として「倶楽部グリー」を結成。メンバーが編曲したポップスを中心に歌うようになった。

今、登録メンバーは61〜71年卒業の50人。月に2〜3回は練習に集まり、終わった後は飲み会で盛り上がる。発表の場は多彩だ。荻窪音楽祭、江ノ島音楽祭、IPCワールドカップ支援チャリティコンサートなどに出演するとともに、病院や介護施設の慰問も行う。一昨年からは毎年「クロコディロス」東京公演を主催。そこでももちろん賛助出演する。
活動が広がるにつれ、事務局長の仕事も忙しくなる。各方面との調整を行ったり、印刷物を製作したり。新しい曲に取り組む際は譜面を手配し、CDやMDを作って配る。
「グリーは暗譜で歌うのが基本。でも皆、いい年ですから新曲はなかなか覚えられない。だから、集まる日以外も家で練習しておけ、と」
紘輝さんもまた、しおりさんが庭仕事に精を出す間、譜面を手に歌う。こうしてひとつずつ、「倶楽部グリー」のレパートリーは増えていく。

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