
ジョン・レノンが生きていれば、ことし66歳。リアルタイムで4人を知る世代から、リバイバルヒットした数々の名曲でとりこになった30代、40代もいる。そんなビートルズ世代が集うのが、「どらく」だ。1966年、世界を席巻したザ・ビートルズが来日し、厳戒態勢の中、計約5万人が東京・日本武道館で公演を見た。あのときの目撃者、「どらく」ピープルたちは、何をいま思うのか――。公演・滞在こぼれ話などを間にはさみながら、7回にわたって報告します。「どらく」編集長によるドクダンのアルバム・レビューとともにお楽しみください。
ザ・ビートルズをリアルタイムで聴いた世代にとって、音楽は世界を広げるドアだった。ターンテーブルを回しながら時代の空気を伝えた当時のDJ、亀渕昭信さんに語ってもらった。

「ジョン、ジョージ、ポール、そしてリンゴの順番でステージに登場します。ギターのチューニングが始まります」
昨年10月、日本武道館で開かれたファンクラブ主催の「ジョン・レノン音楽祭」の案内役を買って出た。日本公演の様子を収録した音源を会場に流し、初演が始まる様子を再現してみせた。
「武道館で初めてロックを歌ったのはビートルズだと、若い人に伝えたかった。彼ら以上にラジオ番組の制作でお世話になったアーティストはいませんから」
その1曲目「ロック・アンド・ロール・ミュージック」は高校生のころのアイドル、チャック・ベリーの曲。ジョンやポールと同世代でもある。
学生アルバイトながらニッポン放送の番組ディレクターを任され、ターンテーブルを回した。洋楽のシングルレコードのライナーノーツも手がけた。入社前年の63年に「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴き、音楽雑誌の新譜情報のコラムで紹介した。
日本公演のパンフレットには、ドイツ・ハンブルクの武者修行時代から来日前までの新曲を含む114曲のディスコグラフィーを共同執筆した。業界関係者からチケットを入手し、公演を3回は見た。「リアルタイムで見たのは幸運だけど、それは自分だけの問題。そうでない人のほうがきちっと彼らを評価していたりする」
66年10月から1年間、FM放送を勉強するため米国へ留学した。坂の多いサンフランシスコで、車という車のラジオから「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の曲がかかっていた。
「20世紀の黄金時代、アーティストは自分の心の詩(うた)を歌った。ビートルズからは、人と違うこと、自分の思ったことはきちっとやろうよ、という生きる姿勢を学んだ」
ポールが来日した93年、内輪のパーティーに招かれ「日本で初めてラジオでビートルズを流した人物」と紹介された。本人は「かなり早い時期に流したけど、初かどうかは確認できない」。
昨年は、ライブドアによる株買収騒動に揺れた年でもあった。「ズルをしたら若者もおじさんもないよ。ビートルズにはズルしてもいいよとは絶対に習わなかったね」
プロフィール
亀渕 昭信(かめぶち・あきのぶ)
42年北海道生まれ。64年ニッポン放送入社。69年から73年にかけ深夜放送「オールナイトニッポン」のディスクジョッキーを担当。「カメ」の愛称で有名に。99年、社長に就任。現在、相談役。
※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。