朝日新聞がビートルズ世代に贈る、こだわりエンターテインメントサイト

メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ホーム設定

Special Contents ひと

  • インタビュー
  • フロントランナー
  • トップ
  • 地球発
  • マネー
  • ライフスタイル
  • 極める
  • からだプラス
  • エンタメ

記事を印刷

どらくスペシャル

ビートルズの目撃者
  • バックナンバー

編集長この一枚あの一枚

  • ページ1
  • ページ2
ドクダンに充ち満ちた、おススメの3枚。
今宵、一杯かたむけながら、針を落としてみませんか…。
第3回は、「ビートルズ・フォー・セール(BEATLES FOR SALE)」、「マジカル・ミステリー・ツアー(MAGICAL MYSTERY TOUR)」、そして、事実上、最後の録音となった「アビー・ロード(ABEEY ROAD)」を。

■ビートルズ・フォー・セール(BEATLES FOR SALE)
1964年12月4日発売

写真

アルバムジャケットの表紙にソフトフォーカスでおさまった4人は、確かに疲れている。

ハンブルク巡業時代からの友人にもらった手編みのマフラーをそれぞれ巻いているのに、ホント寒そうだ。「It's been a hard day night(ああっ、しんどい一日だったぜ)」と、前作「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!(A HARD DAY'S NIGHT)」タイトルトルの名付け親になったリンゴの一言は、わずか5カ月後発表のこのアルバムで、こんなかたちでさらけ出されることになった。それだけ彼らは、この年64年は多忙を極めた。

映画を撮り終え、英国でいくつかの公演をこなした後、わずか3週間の休みをとり、5月から休みなく働いた。デンマーク、オランダ、香港、オーストラリア、ニュージーランドとまわり、7月には英国で映画のプレミアショーやテレビ出演。そのあとスウェーデンに行き、米大陸を1万5千マイルを走って34日間で32回の公演をこなし、さらに1カ月の英国公演と続く。

クリスマス商戦に併せるために発売は年末と決まっていたが、このような軟禁状態のような生活が続いたため、アルバムの録音は8月から10月にかけての1週間足らずだった。「BEATLES FOR SALE」(ビートルズ、売出し中)とは、皮肉にしか聞こえない。

体力も気力も時間も限りがあるなかで作った4枚目のこのアルバムは、カール・パーキンスやバディ・ホリーらのカバー曲をいくつか選び、カントリー・アンド・ウエスタンへの傾向が色濃く出た。黒人音楽にも影響されたロックンロールのルーツを、白人的な要素に求めて紡(つむ)ぎ出した結果である。「ロカビリー」という今や死語になったカントリー色の強いロックンロールを、彼らはこのアルバムで忠実に再現してみせた。

リンゴは後に語っている。<港町のリバプールはおそらく英国一のカントリー・アンド・ウエスタンの街だ。いろんな船から下りてくる連中が、みんなカントリー・アンド・ウエスタンのレコードをもっていたから>と。

ただし、カントリー・アンド・ウエスタンという平板になりがちな表現スタイルに軸足を置きつつも、このアルバムが他と比べて駄作かというと、そうでないところがすごい。 <ぼくは負け犬さ/見てくれとは違うのさ>とはじまる「I'm A Loser(アイム・ア・ルーザー)」は、ジョンの初期の自画像ともいわれる。名声という虚構をまとった世界について初めて歌い、ビートルズの一員であることにけっして満足していない自分を浮かび上がらせた。くぐもった世の中にある自己とはなにかという真理を、失恋という比喩(ひゆ)を使って、あらわした傑作だ。

アルバムINFO

【A面】
No Reply(ノー・リプライ) I'm A Loser(アイム・ア・ルーザー) Baby's In Black(ベイビーズ・イン・ブラック) Rock And Roll Music(ロック・アンド・ロール・ミュージック) I'll Follow The Sun(アイル・フォロー・ザ・サン) Mr. Moonlight(ミスター・ムーンライト) Kansas City?Hey, Hey, Hey, Hey(カンサス・シティ?ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ)

【B面】
Eight Days A Week(エイト・デイズ・ア・ウィーク) Words Of Love(ワーズ・オブ・ラヴ) Honey Don't(ハニー・ドント) Every Little Thing(エヴリー・リトル・シング) I Don't Want To Spoil The Party(パーティーはそのままに) What You're Doing(ホワット・ユー・アー・ドゥーイング) Everybody's Trying To Be My Baby(みんないい娘)

アマゾンで購入する

■マジカル・ミステリー・ツアー(MAGICAL MYSTERY TOUR)
1967年11月27日発売

写真

このコーナーで取り上げる中で、唯一、英国オリジナル盤ではないのが、このアルバムだ。BBCのテレビ映画「マジカル・ミステリー・ツアー(MAGICAL MYSTERY TOUR)」で使う曲は6曲しかなく、LPにするには曲が足りず、逆にEPでは入り切らない。ということで、英国では豪華なブックレット付のEP2枚組という変則的なつくりになった(12月8日発売)。しかし、米国では、この年に出され、アルバム未収録だったシングル3枚の曲(計5曲)をB面にして編集し、このLPアルバムの体裁ができたのである。その後、ビートルズのアルバムがCDになる際に、正式にこの米国編集盤がラインナップに加わったため、ここでも取り上げることにした。

ビートルズにとってこの年、67年のもっとも大きな出来事は、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND)」の完成をみたことではない。同アルバム発売からおよそ3カ月後の8月に、マネジャーのブライアン・エプスタインがロンドンの自宅で死んだことだ。4人にとって仕事でもプライベートでも良き理解者であり、友人であったエプスタインを失ったことで、彼らの迷走がはじまる。

すでに舞台に立つことがなくなっておよそ1年がたっていたが、巨大化していくビートルズのビジネスはエプスタインの死後、はっきりと破綻をきたしていく。彼らは自分たちの会社「アップル」を設立する際にエプスタインに代わるマネジャーを雇おうとはせずに、何もかも自分たちでやっていこうとした。ビジネスは放っておいてもスムースに事は進んでいくと安易に考えていた。

それはレコード制作だけではなく、行き先のない旅行を映像にした「マジカル・ミステリー・ツアー」の制作においてもそうだった。「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が極上の仮装舞踏会なら、二番煎じを狙ったともとられるこのツアーは、茶番劇だった。監督・出演・演出・音楽のすべてを彼ら4人が手がけたが、緻密なスケジュールや脚本はなく、行き当たりばったりに作り上げた映画の評判は散々だった(ちなみに日本では、翌年9月になんと日本武道館で公開された)。しかし、アルバムのほうは発売1カ月で800万ドル以上を稼ぎ、当時のキャピトル・レコードの初回売り上げ記録を塗り替えた。

「I Am The Walrus(アイ・アム・ザ・ウォルラス)」は当時のサイケデリックブームを体現しているが、ほかのいくつかの曲と同様、LSDの体験に基づいた歌詞になっている。<ぼくは彼で きみも彼 そしてきみは僕なのさ/そう、ぼくらはたいして変わりがないぜ>と、とりとめもなく、生真面目さのないこの楽曲に、なぜかみんな惹(ひ)かれてゆく

アルバムINFO

【A面】
Magical Mystery Tour(マジカル・ミステリー・ツアー) The Fool On The Hill(フール・オン・ザ・ヒル) Flying(フライング) Blue Jay Way(ブルー・ジェイ・ウェイ) Your Mother Should Know(ユア・マザー・シュッド・ノウ) I Am The Walrus(アイ・アム・ザ・ウォルラス)

【B面】
Hello, Goodbye(ハロー・グッドバイ) Strawberry Fields Forever(ストロベリー・フィールズ・フォーエバー) Penny Lane(ペニー・レイン) Baby You're A Rich Man(ベイビー・ユーアー・ア・リッチマン) All You Need Is Love(愛こそはすべて=オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ)

アマゾンで購入する

■アビー・ロード(ABEEY ROAD)
1969年9月26日 発売

写真

ビートルズはどこに行こうとしているかーー68年11月に2枚組アルバム「ザ・ビートルズ(THE BEATLES)」が発売されたあと、彼ら4人は、音にうるさい、耳の肥えた世界中の聞き手にその答えを提示しなければならなかった。なぜなら、「ホワイト・アルバム」と呼ばれたこのアルバムは、それぞれのメンバーの個性が前面に打ち出され、結果的に寄り合い所帯のようなプログラムになっていたからだ。バンドとしての存在を認めさせるなら、「ホワイト・アルバム」の続編をつくらなければならなかった。

しかし、「レット・イット・ビー(LET IT BE)」は、その過程はどうあれ、4人が無残にばらばらになっていく様子を表したに過ぎなかった。69年の春になると、アップルの経営不振とビートルズの出版権利問題が世間を騒がせ、ビートルズは自分たちの曲の権利について「部分的所有者」に成り下がってしまった。一方で、4人それぞれは多忙を極め、映画に、ソロアルバムに、新人発掘やプロデュース業にと、活躍の舞台を広げていった。

そうした状況のなかで制作されたのが、「アビー・ロード(ABEEY ROAD)」だった。 4人は、財政的な出版権利問題を早く片付け、ビートルズとしての音楽をもっと追求したかったのだろう。あるいは、ソロ活動だけでいくにはまだ、踏ん切りがつかなかったのだろうか。とくに出版権利問題でほかの3人と敵対していたポールは、新しいアルバムがこの問題を一気に解決させると考えたようだ。同年7月にプロデューサーのジョージ・マーチンに電話をかけ、「昔のようなレコードを作りたいから手伝ってくれないか」と頼んだ。これに対して、マーチンは、「だったら、君たち自身が昔のようにならないとね」と、ことばを返したという。

ジョンはジュークボックスのように次々と曲がかかる、ストレートなロックンロールアルバムを作りたがった。それまでの凝ったつくりのアルバムは不必要と考えた。しかし、ポールとマーチンはかたちにこだわり、アルバムにビートルズとしてのシンフォニーを求めていた。だが、それは、けっして、ジョンとポールの音楽のベクトルが逆に向いているわけではなかった。

ダビングをしない一発どりの緊張感はない。ライブ感覚もない。凄(すご)みもない。けれども、それぞれの曲は磨きぬかれて、計算しつくされ、玄人(くろうと)の作りで、非常に純粋である。とくに、B面は曲の境目がないだけに組曲そのものだ。それは、終焉(しゅうえん)を迎えるビートルズの全経歴の始まりから終わりまでを、流れるように駆け抜けていくものがたりになっている。

アルバムINFO

【A面】
Come Together(カム・トゥゲザー) Something(サムシング) Maxwell's Silver Hammer(マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー) Oh! Darling(オー!ダーリン) Octopus's Garden (オクトパス・ガーデン) I Want You(She's So Heavy)(アイ・ウォント・ユー)

【B面】
Here Comes The Sun(ヒア・カムズ・ザ・サン) Because(ビコーズ) You Never Give Me Your Money(ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー) Sun King(サン・キング) Mean Mr. Mustard(ミーン・ミスター・マスタード) Polythene Pam(ポリシーン・パン) She Came In Through The Bathroom Window(シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー)   Golden Slumbers(ゴールデン・スランバー) Carry That Weight(キャリー・ザット・ウェイト) The End(ジ・エンド) Her Majesty(ハー・マジェスティ)

アマゾンで購入する

(注)ここで取り上げているのは、すべて英国版オリジナルアルバムです。
参考文献:「TELL ME WHY」(Tim Riley)、各ライナーノーツ

ビートルズを知るために

 ビートルズ公式サイト

 東芝EMI

プロフィール

小野 高道(おの・たかみち)

「どらく」編集長。1958年、東京生まれ。獅子座のB型。1984年、朝日新聞社に入社し、東京本社社会部、「be」副編集長などをへて、現職。じつはクラシックもジャズも、リズム&ブルースも、好き。ことばとは裏腹に「優柔不断」が信条?

前のページへ
画面トップへ

※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。

©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。