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時を超えて私たちを魅了し続けるビートルズ・サウンド。「この日のビートルズ」筆者が、ビートルズのアルバム制作秘話をお届けします。
2回目は、通称「ホワイト・アルバム」と呼ばれる作品。2枚組30曲の制作にはどんなエピソードがあったのでしょうか。
真っ白なジャケットを手にしたときの清冽な印象か、それともグループ内の亀裂に顔を曇らせる戸惑いか。30曲を収録した2枚組アルバム「THE BEATLES」は、評論家やファンの間でも好みが分かれる。
コンセプト・アルバムの概念を確立し、ポピュラー音楽の金字塔とまで絶賛された前作「SGT. PEPPER'S〜」に比べ、通称「ホワイト・アルバム」への評価は「個性と多様性の結晶」と褒めたり、「ソロ作品の寄せ集め」とけなしたりと様々だ。発売1週間で200万セットという記録的なセールスに見合った評価は、いまだに定まっていない。
だが、5カ月もの長期にわたったレコーディング・セッションがファブ・フォーの絆に少しずつ亀裂を生じさせ、解散へ向かわせたという評価では衆目が一致する。
録音に先立って4人はジョージの自宅に集まり、インドで超越瞑想のキャンプに参加した際に書きためた27曲のデモ・テープをつくった。ところが、スタジオに移ると、ジョンはオノ・ヨーコを伴ってスタジオに現れ、常にヨーコが傍らにいるようになった。
スタジオでの音づくりの決定権は、マーティンとビートルズだけにあった。その不文律が乱されたことで、いやが上にもグループ内に緊張感が高まった。
最初に取り組んだのは「Revolution 1」。その長いテイクから抜き出した6分間のテープを元に、ジョンとヨーコはサウンド・コラージュの実験曲「Revolution 9」のベーシック・トラックを組み立てる。ほかの3人とマーティンが最後までアルバム収録に反対した曲だ。「テープ・ループ」作りのためジョンとヨーコがスタジオに籠もると、リンゴとジョージは米国に旅立ってしまい、ポールは1人で「Blackbird」を手がける。のっけから分裂のきざしをみせていた。
マーティンは、インドでつくった曲のなかにはリリース向きじゃない曲もあるとして2枚組の制作には反対した。だが、メンバーは自分勝手に曲をつくりたがった。同時に二つも三つもスタジオを使って録音が行われるようになり、音づくりの指揮官がすべての録音に立ち会えることは難しくなった。方向性の定まらないテイクの繰り返しや、メンバーやスタッフ間での辛辣なやり取りの応酬が生まれた。
コミカルな「Ob-La-Di,Ob-La-Da」は、ポールが理想とするジャマイカ風サウンドを追求するあまり何回もリメークやオーバーダビングを繰り返した。だが、曲が劇的に変化したわけでもなく、ほかの3人をうんざりさせた。この曲が完成するころ、険悪なスタジオの雰囲気に堪えかねた録音技術者ジェフ・エマリックが辞めた。
リンゴの自作曲「Don't Pass Me By」は1カ月も放置された。ジョージの自作曲のセッションも後回しにされた。辛抱強く待ってようやく順番が回ってきた「Not Guilty」は、100テイク以上録音したものの没にされる。





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