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どらくスペシャル

江戸前を歩く

日本の台所、築地市場。そこには日本国内のみならず、全世界からさまざまな水産物と青果物が集まる、まさに食のワンダーランドだ。国際的な資源不足、燃料高騰による休漁など、2008年は決して明るいニュースばかりではなかったが、不況にも負けず、築地市場は日々活気ある声に満ちあふれている。師走に入り、あわただしさを増した築地市場を歩いてみた。

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開場は昭和10年

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扇状に拡がる築地市場の建物

江戸時代から大正にかけて、東京の魚市場は日本橋にあった。現在、日本橋のたもとには、「魚市場発祥の地」と記された記念碑が建っている。大正12年(1923年)の関東大震災で、日本橋の魚市場は焼失してしまった。そこで、当時の東京市の指導で、海軍省の施設があった場所を借り受けるなどして建設が進められたのが、築地市場だ。 旧汐留駅から引き込み線を通して貨物列車で、また隅田川に面した岸壁の桟橋からは船で食料品が運ばれたため、築地市場内の建物は扇状に配置された。

開場は昭和10年(1935年)2月11日。すでに70年余りの歳月が経過したことになる。日本経済の発展とともに規模も拡大し、現在では日本のみならず、世界的にみても最大級の規模を誇る魚河岸となった。

築地市場のスケールの大きさをデータで見てみよう。敷地面積は約23万平方メートルで、東京ドーム約5個分の広さ。1日当たりの入場人員数は、約4万2000人(平成14年11月28日〜29日調査)。そして、水産物の取扱数量と取扱金額は、1日当たり2080トン、17億9千万円にもなる(平成19年実績)。

「場内」と「場外」

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魚がし横丁の飲食店街。寿司屋、洋食屋、和食屋、コーヒーショップなどもある

築地市場の内部は「場内」とも呼ばれ、基本的にはプロの卸売業者や仲卸業者などが取引をする場所だ。しかし、一般の客も東京都の定めたルールを守れば、見学することができる。ただし、12月15日から当面、マグロの競り場を含む卸売り場全体が立ち入り禁止区域となった。

数多くの飲食店が軒を連ねる「魚がし横丁」には、乾物屋、刃物を扱う店、長靴などの衣料品を扱う店、魚や料理に関する本がそろう本屋なども立ち並び、近年では観光スポットとしても人気だ。

一方「場外」とは、築地市場に隣接した商店街を指す。よく年末に一般の買い物客でごった返す築地の光景がテレビなどで流されるが、その映像は多くは場外市場のものだ。

ベテラン仲卸が語る「江戸前」

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坂田社長。「私らは魚に食べさせてもらっているんですから、もっとかわいがってあげないとね」

築地市場で長年仲卸業を営んでいる、伏分商事の坂田信一社長に話を聞いた。仲卸とは、卸売業者と小売業者を仲介する立場で、せりによる適正な価格設定や、大量に仕入れた品物を小売店向けに少量ずつ分けるなど、大きな役割を担っている。市場で取引や流通がスムーズに行えるのは、仲卸業者がいるからといっても過言ではない。

この日、伏分には、ハマグリ、サザエ、ツブ貝などの貝類のほか、千葉県は富津で揚がった、スズキやスミイカ、キスやメゴチなど、いわゆる「江戸前」の魚も数多く並んでいた。

「江戸前」とは、いったいどんな定義なのだろう。「水産庁では、2005年に、東京湾全体でとれた魚介類を江戸前とする、と決めたんです」と坂田社長。「私もこの会合には何回も出席しましたが、議論は大変でしたよ。ただ、業者によっては、多摩川から江戸川河口ぐらいまでのごく狭い範囲、昔、江戸城からよく見えた場所ですよね。やはりここが江戸前だろう、という人もいます」

「戦後、築地の業者や漁業関係者が集まって決めたときは、神奈川の観音崎からまっすぐ千葉の鋸山の頂上まで。そこから内側が東京の内湾だ、と。それから、魚河岸がまだ日本橋にあった古い時代の話になりますが、その頃、神奈川の阪東橋あたりから日本橋まで水路が通じていたんですね。神奈川でとった魚を板舟に乗せて水路で日本橋まで運び、朝市に間に合えば、もうそれは立派な江戸前だったわけです。ですから、とにかく活きのいいものが江戸前。それでいいんじゃないかな。線引きは難しいですよ」。築地で働き、魚を心から愛する人らしい、柔軟な答えが返ってきた。

魚が住める環境整備を

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仲卸業者売場の第一小通路そばにある、伏分商事

その江戸前の魚も、姿を消してしまったものが多いという。江戸時代、春の風物詩といえば、ピチピチとはねるシラウオの踊り食いだった。シラウオは将軍家にも献上され、徳川家康が好んで食べたともいわれている。

「昭和30年代だったかな、私が見たことがあるのは、地引き網にごっそりかかったボラの大群。あまりに取れすぎちゃったから、農家に持っていって、肥料にしてもらったもんだよ。冬は砂浜に車エビがいっぱい打ち上げられていたり、春になれば芝エビが船でわんさととれたり……。本当に豊かな海でした」

魚が減ってしまった背景には、やはり、環境の悪化が挙げられるという。「江戸前に限ったことではないでしょうが、とにかく今は、魚の住むところがないんです。人間が魚のすみかを壊してしまっている。われわれが、魚が戻れるようなところ、産卵のできるところを作ってあげなきゃいけないと思いますね」

坂田社長によると、人工の砂浜を造ったお台場の海では、天然のアサリが生息していることが確認されたという。また、今年は江戸川の入り口付近でシジミがとれるようにもなってきた。「河川がきれいになり、ちょっとした環境整備さえすれば、またいろんな魚がとれるようになると信じています。水はだいぶきれいになりましたよ。以前はどこもかしこも悪臭を放っていましたが。家庭からの排水にしても企業の廃水も、気をつけてくれる人たちが増えたでしょう?みなさんがそうやってくれているんだから、私たち水産物を扱っている人間は特に、もう一回、環境整備や資源保護について考え直さなければ、と思っています」

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