朝日新聞がビートルズ世代に贈る、こだわりエンターテインメントサイト

メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ホーム設定

Special Contents ひと

  • インタビュー
  • フロントランナー
  • トップ
  • 地球発
  • マネー
  • ライフスタイル
  • 極める
  • からだプラス
  • エンタメ

記事を印刷

どらくスペシャル

あのときの五輪
  • あのときの五輪トップへ
  • ミュンヘン大会トップへ

1972年ミュンヘン大会


1972年のニュース

奇跡の元日本兵 28年ぶりにグアム島の密林で発見


写真
28年ぶりに発見された横井庄一さん(中央)。散髪したてのさっぱりした表情で記者会見、孤独なジャングル生活の模様を語った

太平洋戦争生き残りの元日本兵が、観光客でにぎわうグアム島の密林の中に生きていた。24日午後6時半(日本時間同5時半)、同島中心部のアガナ市から南へ約19キロのジャングル内で、行きあわせた現地人2人に発見され、グアムの警察に保護された。本人の申し立てと愛知県援護課の調べで、元日本兵であることが確認された。本人は名古屋市出身の元陸軍軍曹、横井庄一さん(56)と名乗り、かなり元気そうだが、検査のため同島の病院に収容された。

病院の話では、横井さんは多少の疲労がみられるが非常に健康で、血圧は10代なみ、1、2週間の検査、休養のあと日本へ帰れるのではないかといっている。

     ◇

横井さんは25日午後、地元の報道関係者と記者会見、その後現場検証のため警察関係者とともにジャングルに向かった。横井さんの生活していた場所が確認され、警察関係者が炊事用具や魚とりの用具を運び降ろしたあと、同夜横井さんは再び記者会見。「まだ夢を見ているような状態だが、まず祖国へ帰りたい」と語った。

日本人記者団との一問一答は次の通り。

――いつ軍隊にはいったのか。

27歳のときだ。すぐ満州へ行った。満州には3年いた。実戦部隊というよりは補給部隊だった。

――米軍が島に上陸して来たときは。

一晩で勝負がついた。日本が負けた。そのあと私は夜襲にでかけた。

――そのあとどうしたか。

みんなチリヂリになってジャングルに逃げ込んだ。はじめは30人がいっしょだったが、そのうち意見が合わなくなったり落後者が出たりして最後は3人になった。

――どんな暮らしをしていたのか。

はじめはカヤで家を作って住んでいた。15年ほど前から穴を掘って暮らした。川ぶちの竹やぶのところに穴を掘った。深さは約2メートル、さらにその底から横へ4メートルくらいの穴を掘った。

――食料は。

ソテツの実、ヤシの実、パンの木の実。川でエビ、ウナギがとれた。デンデンムシ、ガマガエルも食べた。

――最も苦しかったことは。

火がほしい、キレモノ(刃物)が欲しい、糧まつがほしい、と思った。

――戦争が終わったことを知っていたか。

終戦のあくる年知った。地元の日本語の新聞を拾ったらポツダム宣言のことが出ていた。

――なぜジャングルから出てこなかったのか。

こわかったから出て来なかった。軍隊では「大和心で花と散れ」と教えられた。散らなければならなかったのだから……。

――いまの率直な気持ちは。

なんだかわからない。みなさんを見ても日本の方かアメリカの方かわからない。

――日本に帰りたいか。

帰るのははずかしい。でもいっぺん帰りたい。

――ではグアム島に永住するのか。

いや、日本に帰れるということがまだ半信半疑だ。帰れる、というのなら帰りたい。

(1972年1月24日、25日)

  ※72年1月25日付の朝日新聞夕刊ほかの記事をもとにしました。

前の記事へ
画面トップへ

  • ヘルプ
  • サイトポリシー
  • お問い合わせ
  • サイトマップ
  • 個人情報保護方針
  • 広告出稿
  • 会社概要
  • このサイトについて

※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。

©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。