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1972年ミュンヘン大会


1972年のニュース

浅間山荘事件 人質を218時間ぶり救出 警察官2人が殉職


写真
連合赤軍の浅間山荘人質事件。大型クレーン車の鉄玉で玄関の壁を破壊、機動隊員が詰め寄る

連合赤軍による軽井沢「浅間山荘」事件は、28日午後6時15分、警察側の「強行作戦」によって、解決した。事件発生以来実に10日目、218時間ぶりのこと。この間人質となっていた山荘管理人の妻は思ったより元気で、近くの病院にはいった。逮捕されたのは、京浜安保共闘幹部や赤軍派幹部ら5人。長野県警の捜査本部はただちに殺人、監禁などの疑いで本格的な取り調べを始めるとともに、山荘内の現場検証を行った。

しかし、「落城」まで8時間余りの犯人らの激しい抵抗、銃撃、手製爆弾で警官隊側は警視庁特科車両隊の警部に続いて、第二機動隊長の警視が死亡。さらに、テレビカメラマンを含む13人が重軽傷を負う犠牲が出た。過激派の銃撃で警官が2人も死亡したのは初めてである。

午後6時15分、山荘管理人の妻は、犯人たちの最後のトリデ、山荘3階東側のベッドルーム「いちょうの間」北側で、犯人たちとともにベッドの間でうずくまっていたところを、部屋に突入した警視庁機動隊員らによって救出された。

最後に残ったいちょうの間をめぐっては、1時間余りにわたり激しい攻防が繰り返され、犯人らのライフル、猟銃の乱射、警官隊のガス弾、大量放水のあとで、ずぶぬれの人質が発見されるという劇的な救出作戦だった。

行動開始から8時間余りにわたる強行救出行動に対し、山荘内の犯人たちはライフル、猟銃で激しく抵抗、とくに指揮官めがけて正確な銃撃をあびせたが、午後6時10分、いちょうの間に追いつめられた弾丸をほぼ撃ちつくし、高圧放水でびしょぬれになってベッドの中にもぐり込んだ。ここへ拳銃を構えた警視庁機動隊員らがなだれ込んだ。

なお、この日警察側が使ったガス弾は約1000発、ピストルの発射は15発、放水した水量は約100トンにのぼった。

(1972年2月28日)

  ※72年2月29日付の朝日新聞朝刊の記事をもとにしました。

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