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どらくスペシャル

あのときの五輪
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1972年ミュンヘン大会


パレスチナゲリラがイスラエル選手団らを襲う。11人死亡


写真
ゲリラは選手村のイスラエル宿舎を襲って人質をとり、「投獄ゲリラを釈放せよ!」と迫った。ゲリラとの海外脱出の交渉成立し、ゲリラと人質が宿舎の地下駐車場から大型軍用バスに乗り込む

ミュンヘン市の選手村に5日午前4時半ごろ(日本時間同日午後0時半)、パレスチナゲリラとみられる5人がさくを乗り越えて乱入、イスラエル選手宿舎に押し入って自動小銃を発射し、イスラエル選手団2人を射殺したうえ、選手ら9人を人質にした。平和と友好の舞台に政治対立の血が流れ、国際オリンピック委員会(IOC)は、同日午後からの今日競技を中断するという非常措置をとった。

ゲリラ側は、イスラエルで投獄されている230人のパレスチナゲリラの釈放などを期限つきで要求している。期限は小刻みに伸ばされてはいるものの、「期限をすぎれば1時間ごとに2人ずつ殺す」といっているとの情報もあり、各国選手団や五輪関係者は五輪史上例のない憂慮と衝撃を受けている。中東通信は、ボンからの報道として、ミュンヘンの選手村でイスラエル選手団を襲撃したのは、パレスチナゲリラの一派「黒い九月」だ、と述べた。

午前5時すぎ。装甲車に乗った警官隊が選手村を完全に包囲した。イスラエル選手団宿舎付近の物陰には、銃を持った警官が次々と配置についた。現場から100メートルほどはなれたところに警察の指揮所が設けられた。また、近くのホッケー場には軍隊のトラックも次々に到着、マシンガンを持った兵士たちが選手村を包囲した。上空にはヘリコプターが舞う。望遠鏡つきの狙撃銃を持った私服の警察官が、ときどき建物の陰を走り抜ける以外は、静まりかえったままのイスラエル選手団宿舎である。

すぐ近くの金網の外には、多数の見物客が群がって、犯人たちが人質をタテにとじこもった建物を見おろしている。乳母車もいるし、老夫婦もいる。自動小銃を肩にした警察官も、その中にまじって立っている。やがて見物客は排除され、選手団宿舎の中では犯人と交渉が続けられているらしい緊迫した空気に包まれた。

(1972年9月5日)

  ※72年9月6日付の朝日新聞夕刊ほかの記事をもとにしました。本文中の呼称は一部改めました。

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