朝日新聞がビートルズ世代に贈る、こだわりエンターテインメントサイト

メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ホーム設定

Special Contents ひと

  • インタビュー
  • フロントランナー
  • トップ
  • 地球発
  • マネー
  • ライフスタイル
  • 極める
  • からだプラス
  • エンタメ

記事を印刷

どらくスペシャル

あのときの五輪
  • あのときの五輪トップへ
  • ミュンヘン大会トップへ

1972年ミュンヘン大会


体操
体操

体操男子 予想通りのメダルラッシュ 個人総合でメダルを独占


写真
体操男子団体総合で五輪史上初の4連勝を果たし、金メダルを胸に観衆の拍手にこたえる日本チーム。左から中山彰規、岡村輝一、監物永三、加藤沢男、塚原光男、笠松茂の各選手

30日の男子体操の個人総合で、日の丸が同時に三つもあがった。加藤沢男(大塚ク)が最終種目の鉄棒で監物永三(日体スワローク)を抜いて逆転優勝。日本は2位監物、3位中山彰規(中京ク)とメダルを独占する完全優勝となった。

 自由演技が始まるまでの持ち点は、1加藤、2監物、3笠松、4中山、5アンドリアノフの順だった。差はもちろんコンマ以下。追うもの、追われるもの、ともに耐えがたい緊張の連続だった。

トップ加藤の演技は、それをまざまざと示した。床運動で9.25。とたんに2位に落ち、平行棒で9.45をとった監物が1位にあがった。

加藤はこれまで腰を痛め、右アキレスけんを切り、最近は右肩を痛めている。この日も腕にサポーターを巻き、その姿は痛々しい。一時は「加藤時代去る」とまでいわれながら見事再起した加藤。そんな不安が感じられた。

中山が後で述懐した。「精神的にも苦しかったが、団体規定、自由、個人自由と続くと、体力もばててくる。エネルギーの配分を考えることが、勝つうえで大きくモノをいう」

こうして演技は、精神力と体力の極限をためしながら進んでいった。

耐え難い緊張は、追う側のアンドリアノフにも同じだった。最後の床運動で、思い切った技で逆転をねらったが、逆宙返りで場外へ飛び出してしまった。得点は9.45。3位中山とわずか0.125差。

遠藤チームリーダーは、あとから次のように語った。「金銀銅の独占までは考えていなかった。演技が進み、これならいけると欲が出始めてから、アンドリアノフの反撃にヒヤヒヤし通しだった。床運動と跳馬で彼がミスをしなかったら一角をくずされていただろう。最後は点数計算ばかりしていたが、余計な緊張をさせてはいけないと思い、選手たちにはいわなかった」

観客には水際だって見えた日本選手の美技も、遠藤コーチや選手たちにとっては、薄氷を踏むような緊張の連続だった。

(1972年8月30日)
次の記事へ
画面トップへ

※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。

©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。