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1972年ミュンヘン大会


水泳
水泳

競泳男女ともに金メダル奪取、世界新記録達成


写真
金メダル、世界新記録を達成した田口信教選手(左)と青木まゆみ選手

日本水泳界の悲願を背負った田口信教(広島商大)は30日午後、男子100メートル平泳ぎ決勝で、前日の準決勝でマークした1分5秒1の世界新をさらに0秒2縮める1分4秒9の快記録で、堂々と金メダルを獲得した。金メダルは1956年のメルボルン大会で、古川勝(当時日大、大丸勤務)が200メートル平泳ぎで勝って以来、実に16年ぶりの快挙で、「水泳日本復活」への力強い泳ぎだった。また、日本がお家芸といわれる平泳で金メダルを獲得したのは5度目。

こんなラストの強い田口を見たことはなかった。いままでは、前半の50メートルを精いっぱいではいり、ゴール前で四苦八苦するのが田口だったのだが、決勝では前半を押さえてはいり、ターン後じりじり追い上げて75メートルで並び、最後ですっと抜くという離れ技をやってのけた。

ゴールタッチして左右のコースに、そして電光掲示板に視線を走らせた田口は、体半分を水面上にとびあがらせて喜んでいた。メキシコ大会で「足がカエル足になっていない、ドルフィンキックがはいっている」と泳法違反の失格となり、苦しみ抜いた4年間のうっぷんを、この一瞬に晴らしているようにみえた。

     ◇

「肥後もっこす」(熊本地方の方言で意地っ張り)の青木まゆみが、女子100メートルバタフライで金メダル。1日夕、スイミングホールにかけつけた日本人ファンは「水泳2つ目の金」に酔った。

これほどハラハラさせたレースはなかった。2コースからバイエル(東独)、青木(日)がギャルマチ(ハンガリー)、ディアダーフ(米)、ダニエル(米)と並ぶ。スタート後、バイエルが飛び出し、青木は準決勝と同じように出足がにぶい。50メートルの折り返し。青木は7位。70メートルあたりでやっと青木が出てきた。ギャルマチも出る。懸命に逃げるバイエルを追って、激しい3人の争いとなった。あと5メートル。出た、青木が出た、やった――男子100メートル平泳の田口と同じに、見事な追い込みだった。青木1分3秒3、2位バイエル1分3秒6、3位ギャルマチ1分3秒7と、3位までが世界新だった。

金メダルを首にかけた青木が、金メダルを指先でいじりながら「わたしだけのものではないわ」とポツリひとこといった。コーチ陣、仲間たちのことを考えて、とかくいいたがる「美談」の一つなのだが、青木のはそうではなかった。心の底から、ごく自然に出てしまったことばだった。「うまくいったわあ」。加藤コーチの指示通りに泳げたことが、なによりもうれしかったのだろう。「前半をマイペースで進み、50メートルを折り返してから大きなストロークで加速し、ラスト10メートルで勝負しろ」――加藤コーチ(山田SC監督)は、レース前、かみしめるように青木にこういった。

あと5メートルで青木は本当に燃えた。「肥後もっこす」にかけてもやらなきゃならない。水が重かった。よく手のひらにひっかかるのだ。いける。がんがん泳いだ。勝った。「やったわよ、監督さん」

(1972年8月30日、9月1日)
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